「期待」とは形を変えた要求であり、隠れた依存心の表れです。
それゆえに満たされることはないのですが、そこまでして欲しかったものとは、実は自分が与えることができるもの、と見ることができます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.あなたが人に期待していることは、あなたから人に与えていないこと
すべての期待は要求から生まれます。
そして要求は、必要なものが得られないのではないかという怖れから生まれるのです。
そこで、それを頼むのではなく、要求するわけです。
でも、相手があなたに与えてくれないのではないかという怖れは、実際はあなたのほうが相手に与えていないことからくるのです。
あなたの「期待」を「招待」に変えることができます。
そのほうが、ずっと自然にこたえてもらえます。
それにはパートナーやまわりの人に期待していることを、あなたのほうから与えていけばよいのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.399
2.「期待」の心理
今日のテーマは、「期待」でしょうか。
何度もここで扱ったことのあるテーマであり、「自立」しはじめの時期に象徴的な心理ともいえます。
「期待」とは、要求が形を変えたもの
「期待」と聞くと、普通はポジティブなイメージを持たれるのではないでしょうか。
しかし、心理学においては少し異なる意味があります。
「期待」の心理を考える上で、一番大事なのは、それが「こうなってほしい」「こうなってほしくない」という要求をベースにしている、というところでしょうか。
私たちは、「依存」の立場にいるときには、そうした要求を素直に表現します。
「助けてください」「こうしてください」…などなど、そうした素直さは「依存」のステージの大きな恩恵といえます。
しかし、それは同時に要求が叶えられるかどうかは相手次第、ということでもあります。
助けて欲しかったのに、助けてもらえなかった。
こうしてほしかったのに、それをしてもらえなかった。
そうして相手の反応で傷ついていくうちに、私たちは自分で何でもやろうとする「自立」へと進んでいきます。
しかし、「依存」時代に持っていた、そうした要求がなくなるわけではありません。
そうした要求は、「自立」をしはじめると、「期待」に形を変えるわけです。
それは、依存心が形を変えたものと言い換えられるのでしょう。
すべての期待は要求から生まれます。
そして要求は、必要なものが得られないのではないかという怖れから生まれるのです。
そこで、それを頼むのではなく、要求するわけです。
引用文は、そんな心理を言い表しているようです。
しかし
こうした「期待」は、なかなか成就することがありません。
「期待は裏切られる」という心理学の金言もありますが、その底に依存心がある限り、「期待」したことが満たされることはありません。
そのようなことが続いていくと、人はさらに自立を強めていきます。
与えていないのは、自分のほう?
このように、心理学でいう「期待」とは、依存時代の要求が形を変えたものであり、それゆえに満たされることのないものです。
「あなたに期待している」
というとき、それは「あなたに何かを与えてほしいと要求している」と言い換えられます。
「期待」をすることとは、実は相手に対してハードルを置く行為のようです。
「期待している=このハードルは跳べるでしょ?」というように。
その裏側には、「どうせ私には何も与えてくれない」、「私なんかには与えてもらえない」といった、満たされない依存心があります。
こう見てくると明らかなのですが、実際に与えていないのは、「期待」する側の方といえます。
相手があなたに与えてくれないのではないかという怖れは、実際はあなたのほうが相手に与えていないことからくるのです。
私たちは、愛情やつながりといった、自分自身が欲しいものを得るために、相手や自分に「期待」するということを、よくします。
どこかで、そうしたものを得られなかった、与えてもらえなかった、という経験から、そうするのかもしれません。
けれども、実際のところ。
それは与えてもらえなかったのではなく、「自分が与えいなかったもの」といえます。
その視点は、「期待」を考える上で非常に大切なものです。
3.欲しかったものは、自分が与えることができるもの
「期待」するほどに欲しいものは、実は自分自身が周りの人に与えるもの。
この視点は、その人の才能や魅力を考える上で、とても重要になります。
「期待」は、依存心の裏返しであり、それを抱いているとしんどいものです。
「期待は手放すもの」という言葉がある通り、「期待」とは地に足をつけて、相手と現実と向き合っていくなかで、手放していくべきものです。
けれども、そこに「期待」の心理を抱くようになったこと、意味があると私は思うのです。
カウンセリングのなかでも、よくそんな見方をさせていただくことがあります。
愛情やつながり、あるいは周りからの評価といったものが欲しいという依存心から、私たちは「期待」をします。
しかしそこで「期待」が叶わず、裏切られてまた傷つき、さらに自立を深めるかもしれません。
けれども、先の見方を採用するならば。
「期待」するほどに与えて欲しかったものとは、実は自分が与えることができるもの、と見ることができます。
「期待」することに、苦しさやしんどさはもちろんあるのですが、そこに「才能」や「魅力」といったものを見ることもできると思うのです。
そこにこそ、周りの人に与えられる才能が、眠っているのですから。
ずっとつながりが欲しかった人は、居場所という才能を持っています。
ずっと愛されたいと願っていた人は、それだけ人を深く愛することのできる人です。
ずっと自分の価値を認めて欲しかった人は、誰かの価値を信じ、そして愛してあげることのできる人です。
「何に期待していたか?」から、私たちの才能や魅力を見つけだすこともできる。
「期待」の心理を考えるときに、ぜひそんな視点も持っておいてはいかがでしょうか。
今日は「期待」の心理と、そこから見えるその人の才能や魅力という視点でお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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