「癒し」とは、ものごとや世界の見方をポジティブに変えることを指します。
自分を癒し続けることは、周りのたいせつな人に愛を与え続けることでもあります。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.自分を人に与えるほど、相手の本来の姿が見えてくる
ものごとを批判していると、本質を見たり理解したりする能力が制限されてしまいます。
ドイツの詩人、ライナー・マリア・リルケは「私たちは愛によってのみ、芸術作品に近づくことができる」と言っています。
相手が人間なら、なおさらそれは真実となることでしょう。
愛をもって近づけば、愛は理解をもたらしてくれます。
次々に世界が開かれ、その存在の神秘が私たちに明らかにされるのです。
あなたがいっしょにいる人に愛を与えるほど、おのずとありのままの相手を援助し、楽しみたいと感じます。
その人の存在を楽しめないのなら、それはあなたがその人に与えていないからです。
だれかに与えれば与えるほど、あなたも楽しくなるのです。
でも、自分を犠牲にしているときには、これはあてはまりません。
与えても楽しくないときは、自己犠牲という偽りの与え方をしているのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.408
2.「癒し」とは世界の見方が変わること
今日のテーマは、難しいですね。
「癒し」という切り口から、少し見てみたいと思います。
愛は理解をもたらす
今日の引用文のなかで、この部分が非常に印象的です。
愛をもって近づけば、愛は理解をもたらしてくれます。
次々に世界が開かれ、その存在の神秘が私たちに明らかにされるのです。
愛は理解をもたらし、また世界を開いてくれる。
これは、一つの真実のように感じます。
ここでいう理解とは、その相手の存在そのものを肯定し、認め、許すことを指します。
私たちは、誰かとつながるためには、自分自身が愛を携えていないと、近づけないようです。
愛をもって近づくことで、その相手の言動に振り回されることなく、目に見えていない本質的な部分に触れることができる。
これは、夫婦関係の改善や、チームビルディングに取り組んだことがある方なら、よくわかると思います。
悪態をつくパートナー、あるいはリーダーに常に反抗的な態度を取る仲間…そうした相手の目に見える部分だけにフォーカスすると、自分自身がそれに振り回されてしまいます。
「なんであんな態度を取るの!」とか、「私が至らないから…」といったように。
しかし、自分のなかに愛をもっていると、私たちは相手を感情的に理解していくことができます。
「この人は、どうしてこんな態度を取るんだろう」
「この人がこんなことを言わざるを得ないのは、なぜだろう」
そうすると、見えてくるものが少しずつ違ってきます。
「この人の悪態は、助けてほしいという叫びなのかもしれない」
「反抗的なのは、甘えているだけなのかもしれない」
そのように見ることができたとき、世界は変わります。
癒されるほどに、愛を知る
愛をもって相手に近づく、ということ。
自分自身のなかに揺るがない確かな愛を持つ、ということ。
それは、言い換えると「自分を愛する」ことといえます。
はい、耳タコのような言葉かもしれません笑
けれども、私たちは自分を愛することができるほどに、その愛を周りの世界に映し出します。
自分をどう扱うかによって、見える世界の景色がまったく違ってきます。
そして、その扱い方を変えることを、「癒し」と呼んだりもします。
心理学における「癒し」とは、「ものごとの見方をポジティブに変えること」を指します。
同じ事象が起こっても、そこから何を受けとるのかは、人によってまったく異なります。
たとえば、病気を患ったという事象があったとして。
- 病気のせいで、やりたいことができなくなった。
- お金がかかるし、周りに迷惑をかけてしまった。
- 仕事を休まなければならなくなってしまった。
そのように考える人もいると思います。
しかしその逆に、
- 周りの思いやりややさしさを知ることができた
- 休むことの大切さを学んだ
- 苦しいときにこそ、大切な人が誰なのかが分かった
そんなふうに考えることもできます。
どんなできごとも、ただ起きているだけであり、それを意味づけしているのは私たち自身です。
その見方を、ポジティブに変えていくことを「癒し」と呼びます。
極端にいえば、「癒し」が起こると、それまでと同じ人間ではいられなくなります。
世界観や人間観といったものすべてが、変わっていく。
それが、「癒し」といえます。
そして「癒し」が深まるごとに、私たちは世界のなかから愛を見つけ出すことができるようになります。
そして、その見方は自分自身のみならず、周りの人にも向けることができるようになります。
3.愛を与えるためには、自分を癒し続けること
だれかに与えれば与えるほど、あなたも楽しくなるのです。
引用文にあるこの部分は、一つの真実です。
愛をもって与えることができるほどに、私たち自身の生は輝きを帯びます。
しかし、与え続けることは、無条件でできることではありません。
いっとき、無償の愛に近いような形で、与えることはできるかもしれません。
しかし、それを「続ける」となると、非常に難しいものです。
引用文にあるように、いつの間にかそれが犠牲的になってしまったり、なんで返してもらえないの?と不満を感じたり、あるいは取引しようとしてしまったり。
私たちの心は、生きていく中で揺れ動いたり、沈んだり、ときに拗ねてしまったりします。
ただそれは、悪いことでもありません。
いつも清浄無垢でいることができないのも、私たちの心です。
だからこそ、自分を癒し続けることが、大切なのでしょう。
自分を癒し続けることによって、私たちはたいせつな人に愛を与え続けることができます。
「癒し」とは、終わりやゴールがあるものではありません。
生きている限り、ずっと続くものです。
それは、自分自身のためにするものであり、それはまた周りのたいせつな人に与えられることでもあります。
カウンセリングもまた、「癒し」の一つです。
話すことで、感情をそのままに感じつくし、昇華させていくこと。
それまで黒歴史や闇だと思っていたことのなかに、光を見出すこと。
そのままの自分自身を、受け入れること。
そんなカウンセリングを、これからもご提供していきたいと私は思っています。
今日は、「癒し」をテーマに、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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