「感情」とは、私たちをあるべき場所に導いてくれるコンパスのようなものです。
「感情」の持つそんな性質と、「感情」を感じやすくするヒントについて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人は感じなかったら、死んでしまう
私たちに感情がなければ、いきいきとしたり、よろこびを感じたりはできません。
苦痛のなかにいてもそれを感じなければ、自分がしていることを変える必要があるとは気がつきません。
しかし、何よりも感情がすばらしいのは、「何に意味があるのか」を見つける助けになってくれるということです。
意味は感情といっしょについてくるのです。
それは私たちに方向性と目的を与えます。
自分の目的を果たし、真実の意味にもとづいて生きるとき、私たちは天の与える意味を生きるのです。
それは自分のために、役にもたたない、ちっぽけな仕事をこなすことではありません。
私たちのよろこび、愛と創造性そのものの状態なのです。
だからこそ自分を広げるためにも、できるかぎり感じることが大切なのです。
自分が選択すれば、否定的なことも感じたうえで簡単に手放すことができるのです。
つまり苦痛とは、人生の選択を変える必要があることを知るためのバロメーターなのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.435
2.「感じること」の大切さ
今日のテーマは、「感情」でしょうか。
かの名映画「燃えよドラゴン」のなかに"Don't think! Feel!"という名セリフがありますが、それを思い出します笑
感情とは、私たちを導くコンパス
この世界を海、私たちの肉体を舟とするならば。
その船頭は、私たちの魂といったものになるのでしょう。
その船頭さんに、舟の行き先を教えてくれるのが、「感情」というコンパスです。
喜び、楽しみ、うれしさ、愛おしさ…そういった「感情」が感じられるということは、「こっちだよ」とそのコンパスが教えてくれているようです。
反対に、悲しみ、苦しみ、寂しさ、絶望、あるいは虚無感…そういったネガティブな「感情」を感じるということは、「こっちじゃないよ」と教えてくれているのかもしれません。
それは、ある意味で味覚に近いようにも感じます。
甘味、油脂、塩味といった味覚に、私たちは導かれます。
私は今日はチョコレートに導かれてしまいました。
はい、なかなか、甘いものの誘惑はやめられないものです笑
それは、私たちが生きるのに必要不可欠なものだから、そのように感じるのでしょう。
その反対に、酸味や苦味といった味覚を感じるものは、私たちは警戒をします。
それは、腐敗したものを食べて、お腹をこわしてひどい目に遭った、先人たちの経験が、そうさせているのかもしれません。
「おい、やめとけ!その食材はあぶねえぞ…」と。
それは「痛み」と、ある種似ているのかもしれません。
面白いのは、私たちが美味しいと感じる食事には、そうした酸味や苦味の要素が含まれている、ということです。
ずっとあまーい料理でも、それを食べ続けたら飽きてしまいます。
甘さ、塩味、うま味といったものに、酸味や苦みがあってこそ、私たちは「美味しい」と感じることができます。
感情を抑圧すると、迷子になってしまう
感情もまた、同じようなものといえます。
ネガティブな「感情」はもちろんイヤなものですが、それがなければ、喜びやうれしさといった感情もまた感じづらくなります。
それは、先ほどの例でいえば、「北」の方角の無いコンパスのようなものかもしれません。
そんなものがあるのか、わかりませんが笑
「こっちじゃないよ」があればこそ、「じゃあ、こっちなのか」と分かる。
しかし、私たちはネガティブな「感情」がニガテです。
そして、ネガティブな感情を感じると、それを感じないようにしてしまいます。
もう、この感情は味わいたくない、と。
誰にでも、経験があるかもしれません。
また、失恋や挫折、あるいは親しい人を亡くすといった、強い痛みを経験したりすると、それは起きやすくなります。
私も、両親との別離の寂しさや悲しみを感じないようにするために、ハードワークに勤しんだりしていました。
そうしているうちは、ネガティブな感情を感じなくても済みます。
けれども、悲しみだけを感じないようにすることは、できません。
その裏側にある、喜びもまた、感じづらくなります。
他のネガティブな感情も、同じです。
徐々に、無感情、無感動になっていきます。
そうすると、コンパスを失った旅人のように、どこへも行けなくなります。
「あれ、私はどこにいるんだろう」
「何をしているんだろう」
「どこへ向かっているのだろう」
と、自分を見失ってしまいます。
かくも、「感情」を抑圧することは、さまざまな不都合を引き起こすようです。
3.感情を感じる、五感を開く
さて、そうすると「感情」を感じましょう、ということになります。
けれども、いったん閉じてしまったそれを感じるのは、なかなかに怖いものです。
そんなときは、まず五感を開くことをおすすめします。
見ること、触ること、聴くこと、味わうこと、香ること。
全部でなくても、いいと思います。
誰にでも、得意な感覚、あるいは鋭敏な感覚というものが、あるものです。
私は、見ることと、触ることの感覚が心地よいと、割とリラックスできます。
反対に、嗅覚は人より鈍い気がします。
「なんか匂うね」と周りが言ってても、気づかないことが多いです笑
それはどうでもいいのですが、自分の感じている感覚に意識を向けると、少しずつ変わっていきます。
このコーヒーを、ゆっくり味わって飲んでみる。
朝、玄関の外に出たときの風の感覚を、味わってみる。
今日の空の色を、楽しんでみる。
美味しそうな食事の香りを、しばし楽しんでみる。
聞こえてくる鳥の声に、耳を澄ませてみる。
ほんの少しでいいんです。
意識を向けることができると、私たちの感覚は徐々に開いてきます。
そうしていくと、「私が感じていること」の感覚が、少しずつ変わっていくはずです。
その感じていることを、いい/悪いと判断せず、ただ、感じてみてください。
その感情が、ただ流れていくままに、任せてください。
そうすることで、自分のなかで変わっていくものが、必ずあるはずです。
もちろん、カウンセリングも「感情」を感じることができます。
人は、話をすることで「感情」を取り戻し、昇華していくことができます。
「感情」とは、私たちを導いてくれるコンパスのようなもの。
今日は、そんなテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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