大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ほしいものが手に入らないとき、「手に入れないことのメリットは何だろう?」と考えてみることは、私たちの視野を広げてくれる。

いま、自分の手に無いものは、自分が欲していないものと見ることができます。

それを手に入れないことのメリットは何だろう?と考えることは、私たちの心の枠を広げてくれるようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.受けとる準備ができたとき、贈り物があらわれる

このことは、「あなたの世界」の責任者は、あなた自身であり、何かがやってこないままの膠着状態がずっと続くわけではない、ということを思いださせてくれるきっかけになるはずです。

そして、あなたに受けとる準備ができたとき、贈り物があらわれるのです。

 

それでは、どうしたらあなた自身、人生でほしいと思う贈り物を受けとる準備ができるのでしょうか。

そうです。

それは怖れを乗り越えることであり、そしてまた、自分には受けとる価値があるのを認めることです。

 

さあ、受けとる準備をしてください。

あなたがほしいと思っているものすべてを、心を開いて受けとってください。

あなたにはそれを受けとる価値があることを知りましょう。

あなたに受けとる準備をさせないようにする怖れや自己概念を超越できるように、恩恵の助けを求めましょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.443

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2.その手にないものは、いま欲していないもの

今日のテーマは、何でしょうね。

やっぱり、「受けとる」ことになるのでしょうか。

「贈り物」というキーワードがあるので、クリスマスに書けばよかったかなとも思っております笑

なぜ、それが「いま」ないのだろう?

カウンセリング的なものの見方の一つとして、「どうして、自分はそれを望んだのだろう?」という見方があります。

それは、時に厳しく聞こえるかもしれません。

だから、常にそういう見方をしなければいけない、というわけではありませんし、自分が傷ついていたり、弱っていたりするときは、そのケアを優先することが大切なのだと思います。

その上で、この問いをしてみることは、非常に有用です。

なぜ、「私は」彼女に別れを告げさせたのか。

なぜ、「私は」周りに仕事を手助けさせないのか。

なぜ、「私は」いつもカツカツになるようにお金を使ってしまうのか。

もちろん、その答えが出るとは限りませんし、その答えも一つではないのでしょう。

ただ、その問いをすることによって、主体性を取り戻すことができるのが、最大の恩恵といえます。

世の中は、すべてが自分の思いどおりにいくわけではありません。

けれども、それと同時に、自分ができることが「ゼロ」ではありません。

そして、いまこの瞬間にできることは、必ず何かあるはずです。

上の問いは、そうした自分ができることに、意識を向けさせてくれます。

さて、今日の引用文のテーマを、同じような視点で考えてみると。

たとえば、どうしても欲しいのに、いまこの手に無いものがあったとしたら、こんな問いかけをすることができます。

「なぜ、私はそれを手に入れないようにしているのだろう?」

「それを受けとらないことのメリットは、なんだろう?」

もし、欲しいと思っているのに、いまその手に無いものがあれば、少し考えてみたい問いです。

感じなくてもいい感情は、何だろう?

繰り返しになりますが、そうした問いに唯一絶対の正解があるわけではありません。

ただ、それを考えることで、広がる世界があります。

「これが正しい!」というよりは、「なんだろうな、これかな?それともあれかな?」と思いをめぐらせることが、自分の枠を広げてくれる時間なのだと思うのです。

これからお書きすることも、それが正しいというわけでもありません。

ただ、そういう見方もあるんだな、くらいでいいと思います。

その上で、「ほしいものが、いまこの手のなかにないのはなぜか?」「それを手に入れないことで、自分のメリットとは何だろう?」を考えてみるとしたら。

一つの要因として、「手に入れないことで、感じなくてもいい感情がある」というのが考えられます。

それを手にしていないことで、見なくてもいい、感じなくてもいい感情がある。

そのために、手に入れないようにしている、あるいはブレーキを踏んでいる。

人は、自分が思っている以上に、ある種の感情を避けるものです。

その感情を感じないように、それを避ける行動を取っていきます。

それは、自分では意識していないようなレベルでの選択ともいえます。

それを手に入れないことで、向き合わなくてもいい感情がある。

多くの場合、それはネガティブな感情です。

罪悪感や無価値観であったり、寂しさや孤独感といったもの。

あるいは、今日の引用文にあるように、ある種の「怖れ」もまた、私たちが避けようとするものです。

そうしたものを感じなくてもいいから、欲しいものを手に入れないようにしている。

そんなふうに、見ることができます。

3.その感情を受け入れたとき、受けとる準備ができる

さて、ここまでくると、今日の引用文のテーマも、だいぶすっきりしてきました。

私たちがほしいものを受けとれるときは、自分が受けとる準備ができたときであると、引用文では言っています。

いろんな形で、それは言われることですよね。

「学ぶ準備ができたとき、師が現れる」とかも、同じことを伝えているのでしょう。

その「準備」とは何か。

そうです、自分が避けてきた感情を受け入れることが、その一つです。

この受け入れる、というのがポイントです。

そうした感情をなくすとか、消し去るとか、克服する、とかではありません。

その避けてきた感情を、受け入れ、それがあることを認め、自分のなかの一部として見ることができたとき。

その感情は昇華していきます。

それが、受けとる準備ということなのだと思います。

それは、表現を変えれば「自分に寄り添う」ということなのでしょうし、「自分を愛する」、「自分を肯定する」ということもできるのでしょう。

はい、表現を変えても、結局はいつもと同じになってしまいました笑

いま、そのままの自分を愛する。

自分を受け入れる。

自分の価値を認める。

それが、受けとる準備なのでしょう。

そう考えていくと、たとえいまその手に無いものがあったとしても。

それを嘆くこともできますが、同時にできることもたくさん見つかります。

自分の心地よい方法で、自分を愛することが、その一つです。

だから、いま、その手に何かがなかったとしても。

大丈夫なんです。

それを、いつもお伝えしたいと思っています。

今日は、「受けとる」というテーマで、少しお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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