ネガティブに感じるできごとの裏側には、「怖れ」があります。
しかし、「怖れ」を感じることに、私たちは同時に魅力を感じています。
そんな「怖れ」の心理と、それを和らげるための考え方についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.どんなネガティブな体験も、ベースには怖れがある
怖れを終わらせるためには、愛すること、許すこと、援助すること、与えること、信頼すること、天の助けを求めることといった自発的な反応が答えになります。
これらはどれも自信と執着を手放すこと、受容と理解をもたらし、怖れを通りぬける道へと導いてくれます。
ネガティブな状況でいったい何が起きているのかがわからなければ、自分自身が何を怖れているのか、失うことを怖れているものは何なのかを自問してみましょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.436
2.「怖れ」の心理
今日のテーマは、「怖れ」です。
私たちの心の深いところには、「愛」か「怖れ」かしかない、といわれるように、非常に根源的な心理といえます。
「怖れ」とは、自分を縛る未来予測
先ほど書きましたが、私たちの心の深い部分では、「愛か怖れかしかない」といわれます。
心の世界では、「愛の反対語は怖れ」といわれたりもします。
そして「怖れ」とは、多くの問題を引き起こすネガティブなものです。
わかりやすい例でいえば、「幸せになる怖れ」。
私たちは、不幸になるよりも、幸せになることを強烈に怖れます。
それゆえに、自分を不幸せにするような選択や行動をとってしまいがちです。
このあたり、「罪悪感」と似ていますよね。
そのほかにも、「親密になること、結婚することへの怖れ」、「成功や豊かさに対する怖れ」といった「怖れ」が、よくカウンセリングのなかでは出てくるものです。
幸せ、親密さ、結婚、成功、豊かさ。
そうした私たちが求めてやまないものに対して、「怖れ」を抱くのは、考えてみると不思議ですよね。
どうして、そうした一見ポジティブに見えるものに、私たちは強い怖れを抱くのでしょう。
それは、過去の傷ついた経験が、一つの原因と見ることができます。
とても大切な親密さが、失われるような経験が、過去にあった。
そうした経験があると、それと似たような状況が起きたり、そういった状況になりそうになったときに、「また同じ傷つく経験をするのではないか」と、「怖れ」を抱くのです。
「怖れ」とは、私たちのネガティブな未来予測からきます。
それは、ある意味で、とても原初的な反応といえます。
そして、「怖れ」は、私たちを縛り、身動きを取れないようにしてしまいます。
自分自身を縛ってしまう、ネガティブな未来予測というのが、「怖れ」の本質の一つといえます。
ネガティブな体験の裏にある「怖れ」
さて、そうした「怖れ」の性質を見た上で。
今日の引用文のテーマを見てみたいと思います。
ネガティブな体験のベースには、「怖れ」がある、と引用文では言っています。
私たちが生きる中で経験する、ネガティブな経験。
失恋、挫折、病気、あるいは親しい人との別れ…
一見すると、そうした体験は、それ自体がネガティブであるように見えます。
しかし、そうではなくて、「そのベースには怖れがある」というのが、今日のテーマの一つです。
失恋して悲しいのは、自分の愛を与える相手を失うことを怖れているからです。
何かの夢に挫折して絶望するのは、希望を失うことを怖れているからです。
親しい人の死別が寂しいのは、自分の居場所がなくなることを怖れているからです。
そうした体験をネガティブなものにしているのは、「怖れ」だというのが、今日のテーマです。
それを知ると、自分がネガティブだと感じる体験があったとした場合、「私は何を怖れていたのだろう?」という視点を持つことができます。
私たちは生きる中で、ネガティブだと感じるさまざまな体験をします。
そうした体験に対して、私は何を怖れているのだろう?
そして、その「怖れ」はほんとうだろうか?
そう考えることは、私たちのネガティブな体験の意味を、少しずつ変えてくれます。
3.「怖れ」を和らげてくれる考え方
「怖れ」は、真実ではない
たとえば、私のネガティブな体験は、やはり両親との別れでしたでしょうか。
それは、とても悲しく寂しいものではありますが、「私は何を怖れていたのだろう?」と問うことは、私のなかの生きる意味を考えるきっかけになります。
どんな人も、永遠に生きることはできません。
そこに、何がしかのネガティブな感情を貼り付けているのであれば。
そこには、何がしかの「怖れ」があるのかもしれません。
私の場合、その「怖れ」は、孤独になることへの怖れ、そして自分自身のアイデンティティを失うこと(自己喪失)への怖れでした。
もちろん、その他にもたくさんの「怖れ」があることでしょう。
しかし、私にとって孤独になること、そして自分のルーツ、根っこを失うことは、何よりも怖ろしいものでした。
もちろんそれが全てではないでしょうけれども、その「怖れ」が、別れをネガティブな体験にしていたともいえます。
その「怖れ」は、ほんとうではありませんでした。
どこまでいっても、私は孤独になりきれませんでした。
どこまで揺れようとも、そのたびに偽れない自分自身が浮きあがってきました。
「怖れ」は、真実ではありません。
「いま」何ができるかを考えることが、「怖れ」を抜け出すヒント
「怖れ」は、真実ではない。
そして、「怖れ」を乗り越えるために必要なのは、今日の引用文の通りです。
怖れを終わらせるためには、愛すること、許すこと、援助すること、与えること、信頼すること、天の助けを求めることといった自発的な反応が答えになります。
「怖れ」が自分の内面から出てくるものである以上、それを乗り越えるためには「自発的な」動きが必要です。
怖れを越えて、愛すること。
怖れを越えて、許すこと。
怖れを越えて、与え、信頼し、天の助けを求めること。
それが、「怖れ」に対する処方箋です。
そうだったとしても、なかなか「怖れ」があると、身動きが取れなくなってしまうこともまた、人の常です。
はい、私も怖がりなので、よく「怖れ」にがんじがらめになってしまいます笑
けれども、「怖れ」を感じるとは、見方を変えれば、そこに何らかの魅力を感じているからこそ、といえます。
心から惚れた人に愛を告げるのは、それこそ死ぬほどの「怖れ」を感じたりもします。
大切なものだからこそ、私たちは「怖れ」を感じるようです。
自分の価値観を持って生きることは、嫌われても当たり前なんだ
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
とは、かの岡本太郎さんの言葉です。
とはいえ、怖いものは怖いですよね笑
だから、「怖れ」を乗り越えるための一つのヒントとして。
「いま」何ができるかを考える、という視点があります。
いまこの瞬間に、愛すること、許すこと、与えること、信頼することを、100%することはできないかもしれない。
けれども、そこに向かって自分ができることが、いまこの瞬間には必ずあります。
それが何かを考え、そしてそれを積み重ねていくこと。
それが、「怖れ」を乗り越えるための一つの方法です。
今日は、「怖れ」の心理と、その乗り越え方について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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