大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「孤独感」とは自分を特別な存在にするためのものであり、それによって自分の才能を抑圧している。

「孤独感」は、周りから切り離された、自分自身とのつながりが切れたときに感じる感情です。

そしてそれは、自分が「特別な存在」であることを味わうために、自分が選んでいるものです。

そんな「孤独感」のからくりと、その裏側に隠れている才能についてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.孤独感は、自分の「特別さ」を証明するところから生まれる

私たちは自分自身を切りはなしたとき、孤独になります。

 

孤独には、胸がキュンとしめつけられる、あの独特の感覚があります。

ひとり静かに苦しんでいると、自分が「特別な存在」であることの感覚を味わうことができます。

そこで私たちは孤独を選択します。

周囲の人たちに接するよりも、むしろ「特別な存在」でいたいからです。

 

ただ、こうした「特別さ」はつねに痛みにつながっています。

孤独とは、何か特別な欲求を満たすために、自分自身を切りはなしてしまった状態なのです。

みずからが心の奥深くで望まない限り、だれも孤独にはなりません。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.86

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2.孤独が生む特別感と、優越感

人は自分でしか孤独になれない

今日のテーマは、「孤独感」についてです。

私もたんまりと抱えている、この「孤独感」という感情。

あまり向き合いたくないのですが、仕方なく書いています…イヤですねぇ、ほんと笑

まず大前提として、人は自分でしか孤独になれない、ということがあります。

引用文でも、一行目に書かれていますね。

私たちは自分自身を切りはなしたとき、孤独になります。

すべての感情は、自分が選んでいる、という大前提があります。

これまでここで何度も触れてきた、アカウンタビリティの法則でもいわれていますね。

だからこそ、誰かに処理してもらおうとせず、自分の感情は自分で感じきるしかない、と。

自分の感情に責任を持つ、とも言い換えられますね。

これは取り方によっては残酷なのですが、大きな福音であり、救いでもあります。

なぜなら、どんな状況も、自分でいかようにも切り開いていける、と言えるのですから。

そのように見ると、「孤独感」というのも、自分が選んでいる、と言えるのでしょう。

「自分で」自分とのつながりを切りはなしたとき、私たちは「孤独感」を感じるのだ、と。

重要なのは、もしそうだったとしても、「自分から」つながり直せるし、孤独感を癒すこともできる、ということなのでしょう。

「特別感」と「孤独感」の親和性

では、なぜ人は、わざわざ「孤独感」なんかを感じにいくのか。

引用文では、それを「特別感」から説明しています。

「孤独感」に浸っていると、いわば悲劇のヒーロー/ヒロイン的な陶酔がある、というのです。

あぁ…イヤですねぇ…ほんと…書いていてモヤモヤします笑

私自身も、孤独感の強い人間でした。

幼いころからその傾向はありましたが、やはり二十歳過ぎに両親を突然亡くしてから、それに拍車がかかったようには思います。

それによって、「孤独感」という痛みも抱えましたが、それと同時に、本書に書かれているような「特別感」を感じていたのもまた、事実です。

「わたしは、あなたたちとは違う」

「わたしの痛みは、誰にも理解できない」

そんな想いを、心の奥底に抱えていました。

こう書くと、中二病のように聞こえますが、実際その傾向もあったのでしょう笑

悲劇、というのは自分を特別視する、最高のアイテムになりえますから。

被害者の立場と一緒で、なかなか手放せないものです。

かつて、ニーチェは、弱者が価値観を倒錯させる心理をルサンチマンと呼びましたが、

「あいつらは強い。けれども、悪い奴だ(=自分たちは弱い、けれども善い者たちだ)」

というように。

傷ついた自分を「特別な存在」であると見るのは、それと似ているのかもしれません。

だから、周囲の人とつながるよりも、特別な存在でいるために、孤独を選ぶ、という。

はい、だいぶ重苦しくなってきたので、このあたりでやめて次にいきます笑

3.「孤独感」という才能

「特別さ」の奥にある光

さて、こうした「孤独感」ですが、本書ではそれを「才能」として見るワークが紹介されています。

「孤独感」に限らずなのですが、ある問題があったときに、それを問題として解消・解決していくよりは、それを恵まれた「才能」としてとらえる見方が、私は好きです。

自立をこじらせて人に頼れない人の「才能」。

いつも自分を責めてしまう人の「才能」。

親と癒着してしまう人の「才能」。

罪悪感が強い人の「才能」。

陰極まれば陽となる、の言葉のように、それを「才能」として見たいと常々思っています。

だからこそ、本書に惹かれるのかもしれません。

ということで、少しそのワークの部分を引用してみますね。

あなたは特別扱いされることを望んでいながら、その一方で、自分の本質や個性というリーダーシップのもとになる才能を怖れています。

今日のあなたのエクササイズは、「特別さ」というベールをはぐことです。

そうしなければこのベールは、これからもあなたを苦しめつづけることでしょう。

孤独を選択し続けるのをやめて、周囲の人々とふれあいましょう。

「特別な存在」でありたいという欲求を越えてその先へいったとき、あなたは認められ、感謝されて、自分に天性の魅力があったことに気付くのです。

本書 p.82

いかがでしょうか。

「孤独感」の強い人ほど、まともに受け止めようとしてしまうと、「そんなことない!」と無意識の抵抗に遭うかもしれません笑

ふーん、そんな見方もあるのね、くらいでとらえるくらいで、ちょうどいいのかもしれません。

つながり、居場所、リーダーシップ

それはともかくとして。

「孤独感」というものは、才能といえるようです。

それは、つながりをつくる才能であり、誰かの居場所をつくる才能であり、リーダーシップをとれる才能でもあります。

それを「特別さ」という覆いで隠してしまいがちです。

しかし、「孤独感」の強い人ほど、その才能に恵まれている、ということなのでしょう。

なぜなら、上で見た通り、「孤独感」も自分で選んでいるのですから。

同じような出来事を経験しても、「孤独感」を感じない人もいます。

もし、これを読んでいるあなたが、「孤独感」が強いと感じるのであれば、そうした才能に恵まれているのでしょう。

それはきっと、多くの人を照らす、光となれる才能です。

「孤独感」に限らずですが、そんな見方を、これからもお伝えしていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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