「不満」を抱くのは、自分の劣等感の裏返しです。
だからこそ、「不満」を抱くことは自分の可能性に気づかせてくれることといえます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.不満を言うのは、劣等感の裏返し
不満は劣等感から生まれます。
つまり、そこでは自分の無力さを感じているのです。
しかし、自分はそれよりも上だと感じたいので、不満という高慢な態度をとります。
まるで「こんなことは私の身に起こるべきではない」という感じです。
あなたの不満は、まわりに対する言葉と心の攻撃です。
そして高慢さから、まわりのものごとが変わることを期待します。
ところが、そこで変わることを求められているのは、じつはあなたのほうなのです。
自分を心地よく感じたければ、自分自身に承認や価値、尊敬を与えるほうがずっと簡単です。
そのように、あなたが内面で変化すると、外側の状況もそれを反映して変わりはじめるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.444
2.「不満」の心理
今日のテーマは、「不満」です。
ネガティブな心理ですが、それが見せてくれるものについて、少し考えてみます。
「不満」を感じることは、悪いことではない
誰でも、「不満」を言いたくなるときはありますよね。
今日はそうした「不満」について、掘り下げていきたいと思いますが、まず第一にお伝えしたいのは、「不満」それ自体が悪いことでも何でもない、ということです。
「不満」に限らずですが、ネガティブな心理を、「いけないもの」「なくすべきもの」と考えるのは、ちょっと待った方がいいように思います。
嫉妬、罪悪感、執着、無価値観や劣等感…
そうしたものがあると、しんどいのは確かですが、いったんそのしんどさを切りはなして見てみる、というのがおすすめです。
自分ごとだとなかなか難しいものですが、第三者の力を借りたりして、客観視することができると、いろんなものが違って見えてきます。
心理学を学ぶことの恩恵の一つは、そうした部分にあります。
「不満」を含めて、ネガティブな心理とは、もちろん陰の部分ではありますが、陰ができる裏側には、光があります。
その影をなかったことにするのは、光も何もない本当の暗闇に、自分の心を閉ざしてしまうことにもなりかねません。
だから、「不満」を感じているのに、ずっとそれを抑圧して「言わないようにしよう」としていると、心は枯れていってしまいます。
そうなる前に、安全な場所や相手に「不満」を吐き出すことは、とても大切なことです。
そこすらも、「いけないことだ」と思わなくても、いいんです。
「不満」を考える前に、最初にお伝えしておきたい点でした。
「不満」とは、劣等感と高慢さの合わせ技
さて、そうした前提の上で。
「不満」という心理を考えてみます。
「不満」とは、その字のごとく、「いまの状態が、何かが不足している、満ち足りていない」と感じている状態です。
そしてそれに加えて、「そこに自分ができることは何もない」と感じているときに、「不満」が出てきます。
たとえば、「水分が不足している、喉が渇いている」と感じたとしたら、私たちは冷蔵庫から水を出して飲むか、コンビニや自販機でお茶を買ったりします。
そこに、「不満」は感じないわけです。
それは、「足りてないけれども、自分で何とかできる」からです。
しかし、「パートナーが全然連絡をくれない」という「不満」は、私たちは往々にして感じます。
そこに「足りてない」と感じるし、「自分では何ともできない」と感じているからです。
「こんなことはおかしい。けれども、自分では何ともできない。だから、あなたが何とかして」。
ここに、「不満」の心理の本質があります。
自分では何ともできないけれども、あなたなら何とかできるはず。
自分という存在に対して、劣等感を感じている。
けれども、その劣等感を感じるのがイヤだから、「あなたが何とかするべき」という高慢さに変えて、周りにぶつけようとするわけです。
はい、どんよりとした、イヤーな感じになってきましたね笑
繰り返しになりますが、だからといって「不満」をガマンしたり、遠ざけたりしない方がいいものです。
「ふーん、そんな見方もあるんだ」
くらいで聞いておくのが、ちょうどいいのでしょう。
3.「不満」が教えてくれる可能性
「不満」とは、自分の価値に気づかせてくれるもの
そうした「不満」の心理。
実に、どんより、ネバネバした、イヤーな感じがする心理に感じるかもしれませんが、そこに正誤善悪はありません。
たいせつなのは、それが自分のなかに「ある」ことを認めること。
そして、そこから何を「学ぶ」のか、ということです。
それは言い換えると、「不満」の裏側にある光を見つめる、と表現することもできるのでしょう。
「不満」の裏側にある光とは、なんでしょうか。
先ほど、「不満」の根底には劣等感がある、と書きました。
劣等感とは言うまでもなく、文字通り自分が劣っている、と感じることです。
だから、「不満」を感じたときに、ほんとうに足りないのは、自分への愛です。
先の例でいえば、ほんとうに足りないのは、「パートナーからの連絡」ではなくて、「自分自身の愛の偉大さを抱きしめること」なのかもしれません。
「ここまでパートナーのことを愛せる、心を寄せることができる私って、すごいなぁ」、と。
引用文にもあるように。
自分を心地よく感じたければ、自分自身に承認や価値、尊敬を与えるほうがずっと簡単です。
引用文にもあるように、自分自身に価値を認め、承認を与えることは、「不満」を少しずつ光に変えていってくれます。
「不満」は、自分の価値に気づかせてくれるものです。
「不満」を抱くということは、いま思っているよりも、あなたの価値がずっとずっと素晴らしいことの証明なのです。
「不満」を抱きやすい人の可能性
そして、そこからもう半歩、深めた見方をしてみます。
「不満」を抱きやすい人は、どんな可能性を持っているかについてです。
「不満」を抱きやすい人とは、言い換えると「劣等感」を抱きやすい人と言えます。
これまで見てきたとおりですね。
さて、「劣等感」を抱きやすい人とは、どんな人でしょうか。
繰り返しになりますが、劣等感とは、何かと比べて自分が劣っていると感じるものです。
そうした劣等感を抱きやすいということは、その比べる基準=自分に対して求めているハードルが高い、といえます。
その基準が、自己攻撃や自己否定のために使われると、とても苦しくなってしまいます。
けれども、それは見方を変えれば、自分自身の可能性の大きさを示しているともいえます。
そのハードルの高さを、自己研鑽や自分を高めていく方向に使えたとき、それはあなたの可能性を広げ、そして高めていってくれます。
「不満」を抱きやすい、「劣等感」を抱きやすいということは、それだけ大きな可能性を示してくれるものです。
そのハードルの高さを、自己否定でなくて、自分を高める方向に使っていくために、自分を愛することが、とても大切にはなってきます。
結局、「自分を愛する」という、先ほどのお話に戻ってしまいましたね。
まあ、それを言ってしまえば、私の書く記事のほとんどすべては、そこになるのですが笑
今日は、「不満」という心理の裏側にある「劣等感」、そしてそこから見える可能性について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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