周りの人が見せてくれる問題は、自分が内面に抱えている問題でもあります。
周りの人を分析しようとするのではなく、自分自身と向き合うために心理学を使うと、それはこの上なく素晴らしい恩恵を与えてくれるようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
- 1.神はさまざまな人を通じて私たちに語りかけます。「あなたがこのままの私を愛するなら、天国までもいくでしょう」
- 2.周りが見せてくれる問題は、自分のものである
- 3.自分のために使うとき、心理学は輝きを放つ
1.神はさまざまな人を通じて私たちに語りかけます。「あなたがこのままの私を愛するなら、天国までもいくでしょう」
人間関係の美しさは、ひとりの人に対して何かひとつを許すことができれば、すべてのその部分を許すことができるということです。
ですから、だれかを許すたびにみんなを許しているのです。
さらにひとりの人と全面的な許しと愛に到達したとき、私たちは「天国」を見いだすことでしょう。
ときにはパートナーよりも、ほかの人々のほうがずっと親しく感じられることがあります。
それはいちばん身近な人が隠された対立をおのずとたくさん引きだし、表面化させてしまうからです。
もしその人がはなれた場所にいれば、対立はないはずです。
でも対立とは、私たちが内面で何を癒す必要があるのかを見せてくれているのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.463
2.周りが見せてくれる問題は、自分のものである
今日のテーマは、本書の最後の節になります。
本書は366のテーマについて書かれていますが、気づけば366日目のテーマになりました。
なんだか、感慨深いものがありますねぇ…
人間関係の不思議さと美しさ
今日の引用文は、ほんとうに含蓄が深いですよね。
とくに、冒頭のこの一文。
人間関係の美しさは、ひとりの人に対して何かひとつを許すことができれば、すべてのその部分を許すことができるということです。
まさに、その通りだと感じます。
心理学を学びはじめるとき、いろんなきっかけがあると思いますが、ある特定の人間関係をよくしたいと思って始める方も多いかと思います。
パートナーだったり、親だったり、あるいは上司だったり。
何らかの葛藤や、あるいは喪失感があって、それをどうにかしたいと思って、学び始める方も多いのではないでしょうか。
私自身も、そうでした。
そして、とても不思議なことなのですが、その特定の相手との関係に波及する前に、遠い距離間の人から、関係性が変わっていくことがあります。
ある人との関係に葛藤があり、いろいろと学んだり取り組んでいたら、なぜかそれと別の人との関係性がすごくよくなったという話は、よくお伺いするものです。
かくいう私も、両親との喪失と向き合い、癒しているうちに、なぜか仕事の上での人間関係の葛藤がゆるんだり、久しぶりに会った友人から「(いい意味で)すごく変わったね」と言われたり、そんなことがありました。
ある関係のなかで、何かを許すことができたとき、それはその関係に限らず、すべての人間関係に影響します。
それは、人間関係における不思議さであり、そして美しさでもあります。
「投影」の神秘
「ひとりの人と向き合い、そして許すことができたとき、それは自分の周りのすべての人を許すことにつながる」。
そんな風に、表現することができるのかもしれません。
その不思議な現象は、「投影」の心理から説明することもできます。
私たちは、自分の心の内面にあるものを、外の世界に映し出します。
内面に葛藤を抱えていれば、外の世界に葛藤があらわれたり。
内面で自分自身を責めていれば、実際に誰かに責められるようなできごとが起きたり、誰かが責められるのが目に入ったり。
その映し出すものとは、心の内面にある感情であり、観念であり、過去のできごとだったりします。
翻って考えるに、「誰かのある一部分を許せた」ということがあったとしたら。
その「許せた」ということを、目に映る周りの世界に「投影」するわけです。
誰か一人を許すことが、世界を許すことにつながる。
だからこそ、近しい関係にある人と向き合うことは、人間関係全般に影響をおよぼすわけです。
だれか一人を許すたびに、私たちはすべての人を許しています。
このあたりは、「投影」の理論で説明された方が分かりやすい人と、そもそも感覚的にそう感じている人と、別れるような気がします。
3.自分のために使うとき、心理学は輝きを放つ
相手の問題を考えるときに、注意したい2つの点
さて、そうした「投影」の心理をつきつめていくと、自分の周りの人が見せる「問題」は、深い意味があることが分かります。
パートナー、親、子どもといった、自分にとって関係性の近しい人ほど、その意味は大きくなるものです。
しかし、その意味を考えるときに、注意したい点が2つあります。
まず一つ目は、「わたしはわたし、あなたはあなた」という線引きです。
その前提を飛ばしてしまうと、その相手と癒着してしまったりして、余計にしんどくなってしまうものです。
あなたの問題は、あなたの問題。
その問題を問題として見るのかを含めて、わたしと線を引かないといけない。
そうした線引きの上で、自分の周りの人が見せてくれる問題と向き合うことは、とても大きな恩恵をもたらしてくれます。
そしてふたつ目は、相手を分析しようとしない、という点です。
心理学を学んでいくと、どうしてもその理論を、誰かに当てはめて考えたくなります。
「彼女はああ言うのは、母親と癒着しているのかもしれない」
心の世界を知ると、私たちはどうしてもそういった見方をしたくなります。
けれども、その見立てが正しくても、正しくなくても。
あまり意味がないどころか、自分とその相手の関係性にとって、あまりいい影響をもたらしません。
知らず知らずのうちに、求められていないアドバイスをしようとしたり、自分の勝手な枠組みに相手をはめようとしたりしてしまいがちです。
はい、私もさんざん、痛い目を見てきました笑
分析をするかわりに、感情に寄り添うのは、全然いいんですけれどね。
向き合うべきは、いつも自分自身
さて、その2つの前提の上で、近しい人の問題と向きうことは、実に大きな恩恵を私たちに与えてくれます。
ある問題が、自分の目に入ってきたということ。
それは、先ほどの「投影」の心理からすると、自分自身の内面に、その問題が「ある」ということです。
それが、映し出されたもの、と見ることができます。
相手は、ただそれを見せてくれているだけ。
そう考えていくと、アプローチする先は、相手ではないことが分かります。
向き合うべきは、いつも自分自身にほかなりません。
自分自身と向き合い、そして自分がどう行動するか。
すべては、そこに尽きます。
そのために、心理学はあると思うのです。
「心理学で学んだことを、自分自身と向き合うために使うと、これ以上ない輝きを放つようになりますよ」
心理学を学びはじめたとき、私が聞いた金言のひとつです。
今日は「投影」がテーマでしたが、少し話を広げすぎて、まとまりがなくなってしまいました笑
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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