以前よりも状況が悪くなったように見えたり、そんなふうに感じることが、時に起こったります。
それは、よりよくなるための「好転反応」なのかもしれません。
プロセスを信じることの大切さとあわせて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.ひどくなるのは、よくなっているからかもしれない
癒しが起きると、よくこういうことがあります。
状況がさらに悪化して、前よりもいっそう大変なことになってしまったように。
けれども、実際には本当の癒しが起こっているのです。
お産のときと同じで、苦痛や叫びをともないますが、そうして新しい生命がこの世に生まれてくるのです。
パートナーと誠意をもってつながり、手をさしのべたら爆発を招いてしまったというとき、あなたは挫折感を感じて、「もう二度とするものか」と決意するかもしれません。
でも、その爆発はたいてい、問題の表層を癒せたというしるしなのです。
そこで水面下に隠れていたことが、おもてに出てきて爆発したのです。
パートナーとつながるのに成功したからこそ、より深い痛みが表面にあがってこられたのです。
こういう状態になったら、もう一度パートナーに手をさしのべてつながりましょう。
するとまた、この層の痛みが癒されるのです。
成功の山頂に到達するたび、ふたたび危険をおかして次の対立の谷へと降りていくことになります。
そこでも癒しは起きて、また新たな山頂に到達してすぐに次の谷へと進んでいくのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.116
2.いまがどうあっても、プロセスを信じること
今日のテーマは、「プロセス(を信じること)」でしょうか。
癒しへと至る道は、決して一次直線上にあるわけではなく、紆余曲折を経るものです。
よくなったと思ったら、以前よりも悪くなったと感じたり。
それを抜けると、また一段と癒されたことを実感できたり。
そうした曲がりくねった道を経ながら、癒しは進んでいきます。
時に、悪くなったように見えるそれを、「好転反応」と呼んだりもします。
それは、好転反応かもしれない
カウンセリングなどを受けて、深く自分の内面と向き合ったとき、終わったあと、翌日などから感情が乱れることがあります。
私も、幾度となく経験してきました。
わけもわからない怒りや、悲しみ、いろんなネガティブな感情が出てきたり、なぜか涙があふれてきたり。
内面の深い部分に触れたときほど、そうした「揺り返し」が起きることがあります。
それを「好転反応」と呼ぶこともあります。
それは決して悪いことではなく、癒しが進んだ、と見ることができます。
今日の引用文にもある通りですね。
でも、その爆発はたいてい、問題の表層を癒せたというしるしなのです。
そこで水面下に隠れていたことが、おもてに出てきて爆発したのです。
たいていの場合、そうした「揺り返し」は、そのままにしておくと抜けていくものです。
お水をよく飲んで、ゆっくり睡眠を取ることを、意識すると、いいかもしれません。
そうしたときに大切なのは、灰汁のようなそれを、どうにかしようとせず、そのままにしておく、ということだと思います。
せっかく、癒しが進んで、出てきてくれたのでしょうから。
「ヘタになった」と感じるときこそ、一番伸びている時期
これは、癒しに限らず、いろんな場面で似たような経験をされることが、あるのではないでしょうか。
特に、スポーツや楽器などの身体を使うもの、あるいは芸術や表現活動で、よく似たようなことが起こります。
そうしたものの成長や上達は、直線上に進むものではありません。
もちろん、始めた当初は、やっただけうまくなったことが感じられますが、続けていくと、踊り場のような場所に出ます。
多くの方が、経験があるのではないでしょうか。
練習しても、何をしても、なかなかうまくならない。
そうしてもがいていると、うまくなるどころか、「なんだか、前よりもヘタになった気がする…」と感じる場面がやってきます。
がんばっているのに、成果がでないどころか、マイナスになったように感じる。
モチベーションを保つのが、難しくなる場面です。
しかし、こうした「前よりもヘタになったかも…」と感じているときが、実は最も伸びている時期だったりします。
それは、自分の視点が高くなっている、ということなのでしょうから。
それでも続けていると、やがてその視点に合った自分になります。
スポーツや楽器、語学などで、似たような経験をされてきた方は、多いのではないでしょうか。
今日の引用文にもある通り、パートナーシップも同じようです。
がんばっているのに、関係性が悪くなったように感じたときこそ、踏ん張りどころのようです。
まあ、そこで踏ん張るのは、苦しいものですけれども笑
3.意味づけをするのは、自分自身
「好転反応」ということにしてしまおう
さて、心の成長プロセスでも、何がしかの上達においても、「好転反応」のようなものがあるのであれば。
悪い出来事が起こったときの、心の持ちようにヒントを与えてくれます。
すなわち、どんなことが起こっても、それは癒しのプロセスのなかにいる、成長のなかの1ページだと、とらえることができます。
目の前の出来事が、どんなにひどく悪いものに見えたとしても、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。きっと好転反応だから」と、ポジティブにとらえることができます。
どんな出来事も、それ自体はニュートラルです。
その出来事に、何かの意味づけをするのは、私たち自身です。
「ひどくなるのは、よくなっているからかもしれない」
そう考えることは、私たちの視野を広げてくれます。
「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」、などといった故事を引くまでもありませんが、ものごとの善し悪しは、その時々によって180度変わってしまうものです。
だいじょうぶ、どうせよくなる途中だから。
そうしてプロセスを信じることができれば、日々起こる何がしかの事象に、意識を奪われにくくなります。
当たり前の話ですが、私たちは「いま」できることしか、できません。
プロセスを信頼することは、私たちの意識を「いま」に引き戻し、やるべきことを淡々とさせてくれるようです。
成長は、螺旋階段を昇るように
私たちの心の成長は、螺旋階段を昇るようなものかもしれません。
あれ、また同じような場所に戻ってきてしまった…と感じても、実は一段上がっているのでしょう。
直線上にあるわけでもなく、円環を描くのが、人の成長であり、パートナーシップの深化だと感じます。
そうはいっても、悪いくなったように見えるときは、なかなかそればかりが気になって、大局的な視点は、持てないものですけれどね。
だからこそ、人は誰かに話し、誰かと歩いていくのかもしれません。
一つの癒しが終われば、また次の癒しが待っています。
成功の山頂に到達するたび、ふたたび危険をおかして次の対立の谷へと降りていくことになります。
そこでも癒しは起きて、また新たな山頂に到達してすぐに次の谷へと進んでいくのです。
引用文にある通り、癒しのプロセスは、私たちが生きている限り、ずっと続くのでしょう。
だからというわけではないですが、淡々と、粛々と。
今日のプロセスを、今日の世界を、受け入れていきましょう。
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