大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分が幸せでないとき、それは誰かに「復讐」しているとき。

「復讐」という、おどろおどろしいテーマについてお伝えします。

「復讐」とは、主導権争いの一種であり、自分を傷つけることで、相手を情緒的に脅迫したり、コントロールしようとする心理です。

自分ではなかなか意識しづらい心理ですが、それに気づくための質問とあわせて、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.復讐しようとしなければ、被害者にはならない

被害者の立場におちいるとき、そのもっとも強い隠れた原動力は、復讐の機会を探し求めるということです。

そして、被害者であるのをやめるいちばんの方法は、復讐したいという欲求を捨て去ることです。

 

子供のころ、自分のほしいものが手に入らなかったとき、私たちは癇癪を起こして泣きわめき、復讐のために自分を傷つけました。

「もうぜったい、何も食べないもん」とか、「じゃあ、息をとめちゃうぞ

とか、「もう永久にどっかいっちゃうからね。パパもママも後悔したって知らないよ」といった具合です。

 

十代のころは、初恋に破れ、はりさけそうな胸をかかえながら私たちは思いました。

「交通事故で死んでしまおう。そうすれば僕がどれだけ大切な人間だったのか、彼女にもわかるにちがいない。そうなっても、もう手遅れだ」

 

子供っぽく聞こえますが、私たちが何かの被害者になっているというときは、多かれ少なかれ、いまだにこうした態度を引きずっています。

失敗やけが、病気などによって、だれかに復讐しているのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.127

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2.「復讐」の心理

今日のテーマは、「復讐」でしょうか。

おどろおどろしいテーマですが、非常に重要なテーマですので、重くならないように書いてみたいと思います!

「被害者」のマインド

引用文中には、「被害者」という言葉が出てきます。

一般的には、民法や刑法などの法律上で「被害を受けた人」を指しますが、心理学においては、少し違います。

心理学においての「被害者」とは、依存時代によく現れるマインドです。

「被害者」とは、ニーズ(欲求)が満たされないことにより、その不満感から相手を責めるマインド、と定義することができます。

自分の無価値観から、相手に請求書を常に発行し続けている状態、と言い換えることもできるでしょう。

それは、相手の動向に振り回される、他人軸の状態とも言えます。

「被害者」は「加害者」と癒着しやすい

「被害者」の反対には、「加害者」という立場があります。

「被害者」が、無価値観や無力感といったマインドを持ちやすいのと対称的に、「加害者」は罪悪感に苛まれます。

自分のせいで、自分が悪いから、自分が間違ったから…といった思考で、自分を責めるわけですね。

これは、とてもわかりやすい心理だと思います。

無価値観と罪悪感は、鏡あわせのように、一つの事象の表裏です。

そのため、「被害者」と「加害者」は、心理的に非常に近いポジションに入りやすくなります。

これを「癒着」と呼びますが、「被害者」と「加害者」は「癒着」しやすくなります

それゆえに、「被害者」と「加害者」は、くるくるとそのポジションを入れ替え続けて行きます。

「被害者」が「あなたのせいだ」と責めた瞬間に、「加害者」のポジションに移ります。

「被害者」となった側は、「そこまで言われて、私も傷ついた」と責め返すのは、容易に想像がつくと思います。

このように「被害者」と「加害者」は、心理的に癒着しやすい関係にあります。

「復讐」とは、心理的な報復行為

さて、ここまで見てきた上で、今日のテーマの「復讐」です。

「復讐」とは、自分が幸せでない行為をしたり、選択をすることで、その相手に対して心理的に報復をすることです。

今日の引用文の例でも、典型的ですよね。

「ご飯を食べない!」「どっか行っちゃうぞ」「僕が死んだら…」

などなど、どこかで私の発言を録音されていたかのように聞こえます笑

いずれにしても、「私が幸せじゃないのは、全部あなたのせいだ!」と言うことで、相手に罪悪感を与えようとする行為だといえます。

また、その罪悪感によって、相手を自分の思い通りにコントロールしようとしたり。

引用文には、失敗やケガ、病気などの例が挙げれらていますが、その他にもいろんな形があると思います。

自分を大切にしてくれない人をパートナーに選んだり、自分を傷つけるような働き方をしたり…実にいろんな「復讐」のかたちがあります。

突き詰めていくと、自分が幸せでないと感じるのであれば、それは誰かに対して「復讐」しているといえます。

 

このように、「復讐」とは相手との主導権争いの一種であり、自分を傷つけることで、相手を情緒的に脅迫したり仕返しをする行為です。

しかし、それが成功することは、ありません。

たとえ主導権争いに勝ったとしても、あくまであなたの主張を完全に相手にわからせようとすれば、究極的には被害者として自分を葬るほかなくなってしまうでしょう。

同上 p.128

3.「復讐」もやはり、愛ゆえに

「復讐」を意識することは、難しい

さて、ここまで見てきた「復讐」。

「復讐」がやっかいなのは、ほとんど無意識で、それを行っていることかもしれません。

自分の「復讐」という心理に気づきにくい、と言えましょうか。

もちろん、「復讐」に限らず、自分の心の癖や観念を、自分自身で気づくことは、難しいものです。

だから、カウンセリングを受けたり、コンサルを受けたりするのでしょうから。

しかし、私見ではありますが、「復讐」はことさらに難しいように感じます。

「復讐」という語も、おどろおどろしい感がありますしね。

それが自分の心の中にあると認めるのは、相当に勇気が要ることだと思います。

しかし、それだけに、気づいたときの恩恵というのも、大きいのかもしれません。

「復讐」に気づくための質問

本書では、自分のまわりに起こっている不運な状況を思い浮かべ、こう問いかけるワークが紹介されています。

「私はだれに対して、復讐しているのだろう」

その問いは、かなり心理的な抵抗をともなうかもしれません。

「そんなはずは、ない」とか、「復讐なんてしていない」とか。

しかし、もし心の中がモヤモヤしたら、もうけものです。

自分の心に、変化が起こっているわけですから。

こうしたワークに限らずですが、その問いをしたからといって、すぐに答えがでることは、ほとんどありません。

たいせつなのは、それを「問い続ける」こと

カウンセリングも、同じだと思っています。

すぐに劇的な効果が出れば、それはそれでいいのでしょうけれど、急激な変化というのは、キックバックや揺り戻しがともないます。

私自身の経験からも、そう感じます。

「どれだけ変化したか?」というよりは、「どの方向を向くか?」ということの方が、大切なように私は思います。

上に挙げた「復讐」のワークも、同じですね。

答えが出なくても、問い続けること。

それは、自分の心とつながる、たいせつな一歩目なのでしょう。

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