「執着」とは、人やものごとに対して、選択肢がない状態を指します。
それしか選べないというのは、逃げ場がなく、苦しいものです。
そんな「執着」をしてしまう心理と、そのゆるめ方についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.長くしがみつくほど、失うものは大きくなる
執着を手放すときを知り、新しい誕生にそなえるのはとても大切なことです。
どんな関係でも、しがみつけばつくほどあなたは魅力を失ってしまい、パートナーにはお荷物になるばかりです。
「こうあるべきだ」と思うことをすべて手放す勇気があるなら、あなたのパートナーシップはつねに新たなレベルに到達することができるのです。
もしかしたら、すべてを手放さなければならないかもしれません。
なぜなら、その関係が少しでも前進する可能性があるとしたら、それは手放そうとする心にかかっているからです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.105
2.選択肢がない「執着」
今日のテーマは「執着」でしょうか。
その心理について、少し見ていきたいと思います。
他に選択肢がない状態
「執着」の心理の一番の特徴は、他に選択肢がない状態といえます。
パートナー、お金、会社、あるいはコミュニティ…いろんなものに、私たちは「執着」します。
今日の引用文にある通り、ある対象にしがみついてしまっている状態は、しんどいものです。
別れた彼女を、もう何年も引きずっている。
仕事が嫌で仕方がないけれど、この会社以外は厳しいと思う。
お金さえあれば、いまの状態を抜けられるのに。
…などなど、実にさまざまな場面で、私たちは何かに「執着」します。
この選択肢がない状態というのは、どれだけ株価が下がろうとも、持っている株を売れない状態のように苦しいのかもしれません。
「執着」してしまう裏には、無価値観、不安、怖れ、あるいは罪悪感がある場合が多いようです。
自分に価値がないと思っているから、この会社しかないと思ってしてしまう。
あの人くらいしか、私を愛してくれる人なんていないから、別れられない。
ひどいことをしてしまったから、自分から離れることはできない。
…などといったように。
ビジネスにおける「サンクコスト効果」
さて、先ほど株の話が出ましたが、しがみついてしまうことの危険性は、ビジネスの世界でもよく言われます。
「サンクコスト効果」と呼ばれるもので、過去に投資したリソースが回収不可能なのに、投資した額の大きさからあきらめきれずに、さらに投資してしまう心理を指します。
「サンクコスト効果」は、「コンコルドの誤謬」ともいわれます。
イギリスとフランスの政府が、超音速の旅客機「コンコルド」の開発に巨額の投資をしていたところ、回収の見通しが立たなくなったにもかかわらず、さらに投資を続けたことから、そう呼ばれるそうです。
ビジネスの世界の話と、心の世界の話を一緒にするのは、少し違うのかもしれません。
けれど、
これまで投資したのだから…
せっかく買ったのだから…
ここまで頑張ったのだから…
そういった意識から、明らかに回収できなそうなプロジェクト、着たくない服、続けたくない人間関係を続けてしまうのは、よく聞く話ではないでしょうか。
投資の世界では、「損切り」が一番大切だけれども、最も難しいと言います。
それくらい、人の心の「執着」を手放すのは、難しくも大切なことなのかもしれません。
「執着」と「癒着」・「こだわり」の違い
「執着」と似ているようで、異なる二つの心理について、少し補足します。
「癒着」との違い
まずは、「癒着」です。
「癒着」の場合は、相手もまたこちらに意識を向けて、お互いがお互いにぴったりとくっついてしまっている状態です。
この状態だと、トイレに行くのにもその相手と一緒に行くような感覚で、まったく自分のスペースや時間がなくなり、しんどいものです。
つまり、「癒着」とは特定の相手とするものですが、「執着」は自分だけが一方的にしているものです。
片想いだったり、別れたパートナーに「執着」することはありますが、「癒着」することはあまりないと言えると思います。
「こだわり」との違い
もう一つ、一見似たような状態で「こだわり」という状態・心理があります。
「こだわり」の場合は、ポジティブな心理がベースになっていることが特徴です。
そのため、「こだわる」ことに喜びや楽しみを感じることができます。
だから、突き詰めていくこともできますし、違う楽しみ方が見つかった時は、そちらに「こだわり」の対象を変えることもできます。
職人の仕事、あるいは趣味の世界などで、よく見られる心理ですね。
しかし、「執着」はその逆で、先ほど見たように、無価値観や怖れ、不安がベースになっています。
そのため、「執着」している状態そのものが辛いですし、なかなかそれを手放すことも難しいと感じるものです。
以上、「執着」と似ている二つの心理と、その違いについてみて見ました。
3.手放すほどに、入ってくる
「執着」は手放そう、とは聞くけれど…
さて、ここまで詳しく「執着」の心理を見てきました。
「執着」していると、どうしても苦しく、生きづらさを感じるものです。
だから、「執着」は手放しましょう、と言われます。
手放す、とは捨てる、あきらめる、とは違い、自分と相手を自由にする行為のことです。
※こちらの記事もご参照ください↓
「手放し」とは、執着から自分を自由にすることであり、自分と相手に偉大な恩恵を与えてくれる。
しかし、なかなか「執着」を手放しましょう、といっても、難しいものです。
「別れたパートナーのことは感謝して手放して、いい人を見つけましょう」
と言われて、「はい!そうですよね!」とはならないのが、人の心です笑
まずは、自分が何に「執着」しているのか、その手に何を握りしめているのか、見つめることからなんだろうな、と私は思います。
それだけ、大切なものだったんですから。
ただただ、その想いを、自分が感じきってあげることから、スタートなのでしょう。
チャレンジが、一つのカギになる
さて、「執着」とは、選択肢がない状態、と何度も書いてきました。
見方を変えると、「執着」とは防衛である、と見ることもできます。
いわば、ずっとその手を握りしめて、その場から動かないイメージです。
そうしていると、新しい冒険や、チャレンジをしなくてもいいわけですから。
逆に言えば、これまでと違うこと、新しいチャレンジに意識を向けることは、「執着」を手放す一つのカギになりえます。
チャレンジ、と聞くと、おおげさなことに聞こえてしまうかもしれません。
しかし、いきなりそんな大きなチャレンジでなくて、大丈夫です。
「執着」していると、その手を握りしめるように、どうしても縮こまってしまいます。
もちろんそれは、「執着」の源泉の無価値観や怖れといったものから来ていると、見ることもできます。
一つだけでいいですから、昨日と違うことをしてみる。
どんな小さなことでも、いいんです。
昨日と違う道を歩いてみる。
いつもは選ばないメニューを頼んでみる。
どんな小さなことでもいいんです。
そうした小さなチャレンジが積み重なっていくと、少しずつ自分の自信になっていきます。
それは、無価値観をゆるめてくれますから、「執着」もまたゆるめやすくなります。
「執着」は手放すもの。
しかし、「執着」するほどに大切なものですから、なかなか一朝一夕には手放せないものです。
「執着」してしまっても、手放せなくても、自分を責めなくても大丈夫です。
少しずつ手放していくための、ご参考になりましたら、幸いです。
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