大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「怒り」でコントロールしようとするよりも、その奥にある本音をコミュニケーションする大切さ。

「怒り」とは、状況や相手をコントロールする一つの手段です。

しかし、それはあまりうまくいかないばかりか、その「怒り」を相手に投影して、さらに状況を悪くしてしまうことがあります。

「怒り」をぶつけるよりも、その奥にある本音をコミュニケーションすることの大切さを、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.怒りとは、自分の欲求を満たすための一手段

私たちが怒るのは、万事が自分の思いどおりには運ばないからです。

ときには怒りを使って、自分の解釈を押しつけ、自分の正しさを証明したり、自分の欲求を最優先させようとします。

 

ところが怒りは一つのパターンになり、満たされない状態をかえって固定させてしまいます。

すなわち「欲求、怒り、怖れ、欲求」という悪循環にはまってしまうのです。

自分が怒るときは、ほかの人も怒るにちがいないと考えてこわくなります。

そして、怖れは欲求を生みだす要素になります。

むしろ怒りで人を思い通りにしようとするのをやめて、その欲求が満たされない怖れについて話しはじめるほうが、はるかにあなたの欲求は満たされやすいでしょう。

欲求についてコミュニケーションするだけで、それが満たされてしまう場合もあります。

コミュニケーションで冒険することは、私たち自身を成熟させます。

そして、その欲求が満たされても満たされなくても、前に進み、自分を力づけることができるのです。

 

よく見てください。

あなたには怒るくせがあるかもしれません。

でも、これは本当にうまくいかない方法です。

なぜかというと、あなたの欲求を満たすことのできるその人を、自分から遠ざけてしまうのですから。

そこで怒りを使うかわりに、何を感じているのかを話しましょう。

パートナーとつながるために近づいてください。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.142

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2.「怒り」が怖い心理

今日のテーマは、「怒り」についてです。

以前に何度も扱ったテーマですが、また違った「見方」をご提供できたらと思います。

「怒り」というコントールのかたち

私たちは、誰もが自分独自のルールを持っています。

この「マイルール」は、観念、思い込み、ビリーフなどと呼ばれたりもします。

「怒り」は、この「マイルール」が破られたときに、感じるものです。

「すぐにメール返さなきゃ、ダメじゃないか!」

「普通の人なら、まず謝るもんじゃないの?」

「どうして、いつも私ばっかり我慢しないといけないの?」

「なんで、僕の応援する馬は、いっつも出遅れるの?」

「怒り」のシチュエーションを見ていくと、必ずそうした「マイルール」が破られたことが見えてきます。

それは言葉を変えると、自分の思い通りに、状況をコントロールしようとしているともいえます。

ときには怒りを使って、自分の解釈を押しつけ、自分の正しさを証明したり、自分の欲求を最優先させようとします。

「怒り」とは、コントールの一種であるようです。

自立的なマインドの人ほど、ものごとや状況をコントロールしたがります。

自立していくと、思考優位になり、正しさに非常にこだわるようになります。

それゆえに、「怒り」は、自立的な人ほど感じやすいようです。

コントロールを外れたり、自分の正しさをおびやかす状況や相手に、出くわすことが多いからですよね。

「怒り」を怖れる心理

さて、そうした「怒り」ですが、それを持っている人ほど、「怒り」を怖れます。

なぜか。

自分のなかにある「怒り」を、他人に投影するんですよね。

自分が怒っている分、その「怒り」を相手に投影する。

そうすると、相手も怒っているに違いないと感じたり、相手を怒らせることが怖くなったりします。

よくある話ですが、リーダーやまとめ役の立場の人を批判する人ほど、その立場に就くことを怖れます。

自分がしていたことが、そのまま自分に返ってくることが怖いからです。

自分の内なる批判を、他人に投影してしまうと見ることができます。

そのようにして、「怖れ」を感じると、自分を満たすためにまた「怒り」を使うわけです。

引用文にある通りですね。

怒りー怖れー欲求ー怒り…という、無限ループにはまってしまう。

「怒り」を使って状況や相手をコントロールすることは、かえって満たされない状況をつくりだしてしまうようです。

3.その底にある本音を、見つめよう

引きこもることもまた、「怒り」の表現の一つ

ここまで見てきたように、「怒り」をそのまま出すことは、どうもうまくいかないようです。

では、「怒り」を出さなければいいのか、といえば、決してそうではありません。

以前にも書いたように、「怒り」とはネガティブな側面もたくさんありますが、パワフルでエネルギーの象徴でもあります。

そのため、「怒り」を抑圧しすぎると、無気力になり、抑うつ状態になることがあります。

無理に「怒り」を抑圧すること、とても危険です

そして、怒鳴ったり、物にあたったりといった、分かりやすい表現方法のほかに、「怒り」には「引きこもる」という表現もあります。

黙る、コミュニケーションしない、出てこない…などなど。

子どものみならず、大人もまたよくそうした方法で、「怒り」を表現したりします。

えぇ、思い当たる節がありすぎますね、ほんと笑

本音から、逃げない

「怒り」をそのままぶつけたり、自分の内に抑え込むかわりに。

「怒り」の底にある、自分の本音をコミュニケーションしよう、と引用文では提案しています。

自分の本音。

「怒り」を感じたとき、そこには、何かあなたのたいせつなものがあるはずです。

なぜ、そのことにそんなにも怒ったのか。

そのことに、何を感じたのか。

それを、コミュニケーションしてみよう、ということです。

それは、二重の意味で怖いものです。

自分の本音に触れる怖さと、その本音を話して理解されないかもしれない、という怖さ。

「怒り」の底にある、自分の本音に触れるのは、怖いものです。

「えぇ…いい大人になって、寂しかったなんて、恥ずかしい…」

「ただ、自分を見てほしかっただけだなんて、言えない…」

ありますよねぇ、ほんと…

ある意味で、「怒り」を使うことは、その本音から逃げていることと言えるかもしれません。

しかし、その本音に触れることができたら、不思議と心は満たされます。

そして、それを相手に伝えると、また一段と満たされます。

このとき、理解されないかも、という怖れが湧くかもしれません。

けれど実のところ、理解されるかどうかは、あまり関係がありません。

あなたが、あなた自身の本音に触れることができた。

そして、それを大切にして、相手に伝えることができた。

それは、とても自分の心を満たし、怖れをやわらげてくれるものです。

欲求についてコミュニケーションするだけで、それが満たされてしまう場合もあります。

コミュニケーションで冒険することは、私たち自身を成熟させます。

そして、その欲求が満たされても満たされなくても、前に進み、自分を力づけることができるのです。

まさに、引用文の通りだと思います。

 

「怒り」よりも、その奥にある本音をコミュニケーションすること

とても難しいことですが、それだけに恩恵の大きなことです。

「怒り」を感じたときの参考になりましたら、幸いです。

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