大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人生最大の悲劇は、人生最高の喜劇に変えられる。

「問題」とは、本来の自分に戻るために起きるもの、という見方をご紹介します。

自分の本質からずれてしまったときに、「問題」は起こります。

そう考えると、自分で解決できない「問題」は、原理的に存在しないのかもしれません。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自分自身を100パーセント与えたとき、それに抵抗できる問題はない

どんな問題も、意識のなかの対立を反映しています。

それは私たちのなかの各部分が、さまざまな欲求を満たして競いあっているのです。

 

しかし、すべての部分をひとつにつなげるという選択とコミットメントには、抵抗できる問題はありません。

問題が展開しはじめ、100パーセント自分自身を与えながら最初の一歩を踏みだしたなら、次の一歩へとつながっていきます。

そうして自然に流れができるのです。

 

自分自身を100パーセント与えたとき、ものごとがいとも簡単にあなたのほうへやってきます。

扉が開きます。

機会があらわれます。

幸運が訪れます。

自分自身を100パーセント与えるというあなたの選択の力に、抵抗できる問題はありません。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.149

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2.「問題」の本質と、それが起こる意味

今日のテーマは、「問題」にしてみたいと思います。

「コミットメント」もでてきましたが、ここのところ少し食傷気味なので笑、「問題」にしてみます。

「問題」は、本来の人生へのファンファーレ

人は生きていくうちに、さまざま「問題」と出会います。

人間関係、お金、仕事、容姿、才能、恋愛、健康、夫婦関係…カウンセリングをしていても、実にさまざまなお話を、お伺いするものです。

そうした「問題」には、慢性的なものと、思いもよらないものの二種類があると思います。

片頭痛をずっと持っておられる方は、朝から頭痛がしても驚かないし、「あぁ、またか」と感じて、粛々とその対応をすることでしょう。

いわば、来ることが分かっているボールを、キャッチするような感覚でしょうか。

しかし、そうではなくて、青天の霹靂のような「問題」に、人は出会うことがあります。

構えていた方向とは全く別の、あさっての方向から、ボールが飛んでくるようなものでしょうか。

(正確に言えば、少しずつ少しずつ、その兆候やサインは現れていたのですが、それを無視してきた結果ではあるのですが…)

勤めていた会社がなくなった。
パートナーの多額の借金が、発覚した。
思いもよらない大病を、告げられた。
事故や天災に遭う。

そうした、不意打ちのように飛んでくる「問題」。

身構えていないだけに、ショックも大きいですし、すぐにはその現実を受け止めることすら、難しいものです。

しかし、そうした青天の霹靂のような「問題」は、時にその人の人生そのものを変えてしまうほどのパワーがあります。

「あのとき、あれがあったから、いまの私がある。もし、あの問題が起こらなかったらと考えると、ゾッとする」

そんなふうに、感じる方も多いものです。

かつての喜劇王、チャールズ・チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉を残したと伝えられます。

「問題」と言う視点から見ると、この言葉は実に示唆に富んでいます。

心理学においても、「人生最大の悲劇は、人生最高の喜劇に変えられる」という金言があります

そうした視点から見ると、「問題」とは忌避するべきものでもなく、本来の人生のスタートとなるファンファーレのようなものと言えるようです。

「問題」の本質

最初から、少し冗長になり過ぎました笑

しかし、そうした視点で見ると、「問題」がなぜ起こるのか、という問いに、一つの答えを出せるかと思います。

すなわち、「問題」とは、本来の自分に戻るために起きるもの、という見方です。

何がしか自分の本質とは、かけ離れた生き方をしていると、それを「問題」が教えてくれる、という見方です。

「あんた、ホンマはそんな人ちゃうやろ。ええかげん、気づきなはれ」

なんとなく、関西弁になってしまいました笑

しかし、「問題」が起きるときというのは、そんなふうにささやかれているときなのかもしれません。

そういった視点で考えると、「問題」が苦しい理由も、よく分かりませんか?

いままでの自分のやり方、あり方では、解決できないから、苦しいんです。

いままで、このやり方でやってきたのに!
これで、ずっとうまくいってきたはずなのに!

大きな「問題」に悩んでいるとき、そんな風に感じることは、ありませんでしょうか。

それは、とても自然なことです。

けれども、そのやり方、あり方というものの多くは、過去の傷ついた経験から、自分がつくり出した観念、ルール、思い込みによってつくられています。

それは、たしかに傷ついた自分を守ってくれる、という大切な役目をしてくれました。

しかし、そろそろそのやり方を捨てるときですよ、と「問題」は教えてくれます。

これは言い換えると、傷ついて抑圧された感情が、解放される準備ができたからこそ、その「問題」が起きる、ともいえるわけです。

「問題」とは、本来の自分に戻るために起きるもの

もちろん、誰だって、「問題」なんて抱えたくないものです。

私だって、イヤです笑

しかし、「問題」をそのように考えるならば、どんな「問題」でも、ある意味でありがたいものであり、自分のために起こるもの、ととらえることができます。

もちろん、そう考えるのには、抵抗が出ると思います。

「だって、そんなこと言ったって…」

それでも、大丈夫です。

だって、今日のこのブログを読んで、そんな「問題」のとらえ方を、知ってしまったのですから笑

私のために、起きた「問題」。

そう考えることは、主体的に「問題」と向き合う一歩目になります。

3.原理的に、解決できない「問題」はない

「アカウンタビリティの法則」との類似

これは、以前に見た「アカウンタビリティの法則」と似ているようです。

以前に見た「アカウンタビリティの法則」では、自分の感情に100%責任を持つ、というほどの意味でした。

これを、「問題」に適用するわけです。

つまり、

「理不尽な問題が起こり、それを解決できずに振り回されている」
という被害者や依存的な見方を捨てて、

「この問題は自分のために起こったものであり、自分が起こした。そうであるならば、自分で解決することができる」
という見方を持つ、ということです。

自分軸で、「問題」をとらえる。

そうとらえたときに、「問題」がぴたりと自分の器におさまる瞬間が、あります。

アカウンタビリティを持てたとき、あるいは、100パーセントの自分を与えはじめたとき、と言えると思います。

そう考えたときに、目の前の「問題」への見方が変わります。

もし、目の前に「問題」があり続けるのなら

もし、目の前に「問題」があり続けるのならば。

いまの自分には、その「問題」を解決する力がないことを、認める必要があります。

そうすることで初めて、周りに助けを求め、成長することができます。

そうしていくことで、今日の引用文にあるような、100パーセントの自分を与えていくことができます。

そうした関わり方をしていくと、どんな「問題」であれ、自分軸で解決していくことができるでしょう。

あなたがいま、何らかの「問題」を抱えていたとして。

とても解決できなそうに、見えるかもしれません。

どうやって、取り組んだらいいか、分からないかもしれません。

けれども、大丈夫です。

その「問題」は、あなたなら解決できるからこそ、あなたのもとへやってきたのです。

だから、大丈夫です。

どうやって解決したらいいか、分からなかったりするかもしれません。

そんなときは、想像してみてください。

そう遠くない未来、こう言っているあなたの姿を。

「あの問題があったからこそ、いまの私がいる」

そう言うあなたは、どんな表情をしているでしょうか。

どんな雰囲気のあなたが、そこにいるのでしょうか。

その言葉に、どんな強さが宿っているでしょうか。

カウンセリングの中でも、よくお伝えすることです。

それを解決できた自分は、どんな自分なのだろうか、と。

ぜひ、そんなことを想像してみては、いかがでしょうか。

 

ということで、「問題」について、いろんな角度からお伝えしてみました。

少し抽象的なお話が多かったですが、いかがでしたでしょうか。

ご参考になりましたら、幸いです。

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