大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

他人を変えようとすることの不毛さを、「癒着」と「投影」から考えてみる。

「他人を変えるよりも、自分を変えよう」とは、よく聞くテーマです。

なぜ、他人を変えようとしてはいけないのか。なぜ、自分を変えた方が早いのか。

それを「癒着」と「投影」の視点から、お伝えしてみたいと思います。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自分の内面を変えることがどれほどむずかしいかを考えれば、ほかの人が変わるのを期待することはおろか

たとえ人を変えることに成功したとしても、結局、敗者は私たちのほうです。

私たちにとって、その相手は色あせた存在になってしまうからです。

だれかを変えるいちばん簡単な方法は、あなた自身が変わること、あなたが前に進むことです。

そうすれば、パートナーにとってあなたとつながることは、抵抗しがたいものになります。

 

まわりの世界でだれかがゆきづまっているとき、それは私たちの潜在意識のなかで何かにとらわれて変化を怖れている部分を、そのまま反映しているのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.154

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2.なぜ、他人を変えようとするのは不毛なのか

「他人を変えるよりも、自分を変えよう」

よく言われるテーマですが、これを少し掘り下げてみたいと思います。

正しいことは、分かるんだけど…

「他人は変わらないけれど、自分は変えられる」

至るところで見る金言で、真実だと思います。

ベストセラーになったスティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」においても、「インサイド・アウト」という形で紹介されていますよね。

自分の内面を変えていくことで、外側の世界にあるものをよくしていこうとすること

それは「7つの習慣」においても、中心とされるくらい、重要な考え方です。

「うまくいかないのは、〇〇のせいだ」
「あの人があんなことをするから、失敗した」

そう考えるのではなく、

「自分に原因があるとしたら、何だろう」
「自分にできることは、ないだろうか」

と考えてみることが、

他責よりも、自責。

しかし、なかなか実践するのが難しいテーマではあります。

だって、自分は間違ってないんだし、相手に変わってもらった方が楽ですもんね笑

この手のテーマは、頭では分かっているんだけれども、なかなか肚落ちするのは難しいものです。

それを、「これが正しいんだ」と自分を無理に納得させるよりも、少し違った角度から、お伝えしたいと思います。

他人を変えようとする不毛さ

しかし、よくよく考えていくと、本当に相手が変わることが、自分の求めているものでしょうか。

自分の思い通りに、相手が変わることが、自分の求めることなのでしょうか。

パートナーシップの問題を例にすると、分かりやすいかもしれません。

 

生活費以上のお金を、週末のお馬さんにつぎ込むパートナーがいたとして。

あ、例え話です、ほんと、ほんと笑

パートナーに、「もう、いい加減にやめて」と伝えたとします。

「わかった」と言って、パートナーはやめる、と言いました。

しかし、しばらくすると、ムクムクと心の中に疑念が浮かんでくるわけです。

次の土曜日、休日出勤とか言ってたけれど、ホントかな…
日曜日は友達と会うらしいけど、行き先を聞いてないな…
そういえば、今月のクレジットカードの明細は…
スマホにはまだJRAのアプリは入っているのだろうか…

その疑念は、なかなか消えないのが、容易に想像がつくと思います。

あかん、あかん、と思いながらも、パートナーに聞いてみたくなります。

「ほんとに、もうやってないの?」

こうした言動が、パートナーシップを悪化させることもまた、容易に想像がつくと思います。

おかしいですよね、相手が自分の思い通りになったはずなのに。

自分がほしかったものとは、かけ離れているような気がしませんでしょうか。

浮気問題なんかも、同じですよね。

相手が変わらなければ、自分が満たされないのであれば。

相手が浮気をしていないかを、永遠に監視し続けることになる。

言ってみれば、ずっと相手に癒着しないといけなくなる。

結局のところ、たとえ相手が変わったとしても、求めていたものは、手に入らないのかもしれません。

 

たとえ人を変えることに成功したとしても、結局、敗者は私たちのほうです。

私たちにとって、その相手は色あせた存在になってしまうからです。

引用文の、この2行は、ほんとうにその通りだな、と感じます。

いや、それでも相手に変わってほしいと思ってしまうのが、人情なのですけれどね笑

3.なぜ、自分が変わると相手が変わるのか

相手は自分の鏡である、という原則

相手を変えようとしては、いけない。

相手が変わったとしても、自分の求めるものとは、かけ離れてしまう。

それならば、自分が変わるしかない。

では、なぜ自分が変わると、相手も変わる、と言われるのでしょうか。

いろんな視点から説明できると思いますが、今日はオーソドックスに「投影」という視点をお伝えしたいと思います。

「投影」とは、自分の感情や過去の経験、価値観などを、人や物に映し出すことを言います。

「今週は皐月賞らしいけど、また大金をドブに捨てるんじゃないだろうな…」
「仕事で遅くなるって言ってたけど、まさかまたあの男と…」

そうした疑いの目で、パートナーを見ているのであれば。

それは、自分自身への不信感、疑いを、パートナーに「投影」している、と見ることができます。

「鏡の法則」という表現も、聞きますよね。

目の前の相手がどう見えるかは、いま自分が自分自身をどう見ているかを、正確に教えてくれるわけです。

それは、関係性が近いほどに、色濃くなります。

パートナー、家族、子ども…彼ら、彼女らが、あなたの目には、どう映っていますでしょうか。

その見えている姿がどうであろうと、いいも悪いもありません。

ただ、「あ、いま自分はこういう風に、自分のことを見ているんだな」と知ることができます。

相手を通じて、自分を知る、という「投影」の使い方ですね。

自分が変われば、それが相手に映し出される

さて、そう考えていくと、もうお分かりだと思います。

自分が変われば、それが相手に映し出される

それが、自分が変われば、相手が変わる、ということの本質です。

これを、「自分が変われば、相手が変わる」という表面だけ聞いてしまうと、「自分が変わったはずなのに、なんであいつは変わらないんだ!」と地団駄を踏むことになります。

「これだけやったのに、まだあの人はJRA銀行に投資をやめない!」
「いままで頑張ってきたのに、まだあの男と続いていた…」

などなど。

よくやってしまいますよね、ほんと(真顔)

相手を変えるために、自分が変わるのではない。

言ってみればそれは、手段の目的化といえるのかもしれません。

自分が変わるのは、相手を変えるためではない。

他の誰でもない、自分自身のために、自分を変える。

それが、鏡である相手に映し出されるのは、いわばオマケに過ぎません。

たとえ、相手が変わらなかったとしても。

「まあ、仕方ないか。そんなあの人が、私は好きなんだし」

となるかもしれませんし、

「私のことを尊重してくれない人は、いらないわ」

という選択をできるかもしれません。

いずれにしても、相手がどうこうにかかわらず、自分の人生を歩んでいけるのでしょう。

カウンセリングなんかでも、お伝えしたいのは、こんな境地だったりします。

 

「他人を変えるよりも、自分を変えよう」

その金言を、少し心理学的な視点から、掘り下げてみました。

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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