自分の価値が信じられないと、無価値観からのハードワークから抜け出せなくなります。
忙しさとは、無価値観の埋め合わせだからです。
何もしない、そのままの自分の価値を認めることの大切さと、そこにいたるためのヒントをお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.忙しさは、自分を無価値観におとしいれるための大いなるたくらみ
時間の節約のためにテクノロジーが発達したにもかかわらず、なぜか私たちがやるべきことは、仕事、各種の活動や趣味、でかける用事など、どれをとってもますます増えるばかりに見えます。
どうやら私たちは、テクノロジーを手に入れればいれるほど、よりいっそう忙しくなってしまうようです。
しばしば人間関係のなかにもこうした忙しさが入りこんできます。
私たちは次から次へと活動しつづけ、ただパートナーと楽しむという時間はなかなかつくろうとしません。
その忙しさのまっただなかで、あえて時間をとり、あなたにとって価値のあるものは何なのかを探ってみましょう。
ほんの一瞬でなくなってしまうものでなく、永遠に長続きするものとは何だと思いますか。
忙しさは、自分に対する無価値観をうめあわせするために使われます。
そうすることで、すべての活動が自分には価値があることを証明するための手段になります。
そのような活動のすべては「否定」からくるために、いずれどこかで挫折感や死の誘惑などといっしょに、いっぺんに無価値観が噴きだしてきて、結果的に失敗を招いてしまうのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.155
2.忙しさと無価値観の関係
今日の引用文の個所を読んで、「うわぁ…」と感じる方は、ハードワーカーの方が多いのではないでしょうか。
えぇ、私もその一人です笑
忙しさは、無価値観の埋め合わせ
忙しさは、自分に対する無価値観をうめあわせするために使われます。
引用文のなかの、この一文が強烈ですよね。
忙しさとは、自分に対する無価値観の埋め合わせ。
まさに、その通りだと感じます。
以前の私が、そうでした。
ワーカホリックにいそしむことで、自分の無価値観を埋めようとしていました。
周りを頼らずに、自分で仕事を抱え込む。
両手からこぼれ落ちそうなほど、仕事を抱えながら、なお周りの仕事を拾ったり。
いまでこそ、「働き方改革」という言葉がいわれるようになりましたが、休日出勤、サービス残業当たり前の、ブラックな働き方をしていました。
とある物流センターで、季節限定の業務をしていたときなど、立ち上げからクローズまでの3か月ほど、休みなく働いていました。
港の近くにある、その物流センターにはバスで通っていたのですが、毎朝「ドナドナ」が流れていました笑
終バスに間に合わないと、地下鉄の駅まで歩くのですが、その道が街灯が少なくて、人寂しいんですよね、これが…
面白い?のは、これが強要されて、そのブラックな働き方をしていたのではないんですよね。
一緒に仕事をしていた同僚は、仕事内容が少し違うとはいえ、きちんと週2回、休みを取っていました。
「休みなよー」と言ってくれていたのですが、なかなか休めないんですよねぇ…
無価値観が、疼くから。
忙しいことが、自己価値の証明
そうすることで、すべての活動が自分には価値があることを証明するための手段になります。
まさに、今日の引用文の通りです。
忙しくしていることは、自分の価値を証明する手段になっていました。
「休みなしで働いて、大変だよね」
「すごいよね、がんばっていたよね」
周りにそう言ってもらう(言わせる)ことで、自分の価値をかろうじて保っている。
そんな、心理だったと思います。
過去形で書いていますが、もちろん、いまでもありますねぇ、その心理…
けれど、ハードワークやワーカホリックに働いている方の多くが、「あるある!」と共感いただけるのではないでしょうか笑
この状態がしんどいのは、ベースにあるのが「自己否定」だからなんですよね。
だから、周りの人がどれだけ、自分の価値を見てくれたとしても、満たされない。
穴の開いたバケツのように、満たされることがない。
そして、その満たされない気持ちをどうにかしようと、さらにハードワークに励む。
なかなか、しんどいロードです。
もちろん、忙しくすることが、ダメなわけではありません。
お仕事や趣味で、ハードワークというか、バイタリティあふれる活動をされている方が、いらっしゃいます。
そういった方は、ベースにあるのが「楽しい」、「ワクワク」といったものから動いていることが多いのではないかと思います。
3.じゃあ、忙しさの恩恵は何だろう?
何もしていない自分の価値とは
忙しいことを、自分の価値の証明にする。
言い換えると、その心理は、「何かをしている自分」「何らかの役割がある自分」にしか、価値を感じられない状態、ともいえます。
仕事をしているから、価値がある。
パートナーのために何かをしてあげられるから、価値がある。
父親だから、部長だから、価値がある。
何もしていない、何の役割もない、ただただ、そこにいるだけの自分。
その自分に、価値を感じられるか、どうか。
そこに、無価値観はしのびよってきます。
愛する喜びを感じたとき、人はこんなことを伝えます。
「あなたに出会えて、本当によかった」
愛する我が子に、人はこう伝えます。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
絶望の底にいる大切な友に、人はこう言います。
「あなたがいてくれて、本当によかったよ」
他人には、そう伝えることができるのですが、自分に対して伝えるとなると、スーパーハードモードになるんですよね、ほんと…
何もしていない自分の、価値を認める。
何かができるからでも、何かの役割があるからでも、ない。
ただ、わたしがわたしとして、ここにいることが、すばらしい。
そう信じることが、無価値観と忙しさのコンボから抜け出す、一つのカギになると思います。
忙しくしてきた恩恵は、何だろう
自分の価値を、何の根拠もなく信じる。
それは、自分で自分を許す、という最大級の癒しと、同じことなのでしょう。
ただ、それだけに、最上級に難しいことでもあります。
自分の価値を信じるのも、自分を許すことも。
おそらくそれは、生涯をかけてやっていくくらいの、長い道なのでしょう。
あせらなくても、大丈夫です。
もし、自分の価値を信じられなくて、自分を許せないときは。
あぁ、いまはそうなんだな、と思うだけで、いいと思います。
そして、忙しさが手放せなかったとしても。
いまそこにある恩恵を、見つめてみては、いかがでしょうか。
光があれば、影があるように。
影があるところにまた、光もあります。
たとえ、無価値観からハードワークにいそしんで、心身疲れ切ったとしても。
そこに、何らかの恩恵を見出すことは、できるはずです。
私がその物流センターでハードワークしていたときの、恩恵のお話です。
↓
もしも、あなたが、忙しくしてきたのだとしたら。
自分の価値を信じて、それを手放してみてはいかがでしょうか。
もちろん、すぐに手放すことが難しくても、大丈夫です。
そのときは、その忙しくしてきた恩恵は、何でしょうか。
それを、少し考えてみるのも、いいかもしれません。
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