大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「許し」は利他的でも犠牲的でもなく、自分自身のためにするもの。

周りの人に見える価値や魅力は、すべて自分のなかにあるものです。

同じように、他人のイヤな部分、嫌いな部分、許せない部分は、自分が持っているものです。

なぜ、そうした部分を「許そう」と言われるのかについて、考えてみます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.人のなかに見えるものは、あなたが考えている自分の姿

私たちは自分自身のきらいな部分を心の奥にうめてしまい、それを自分の周囲の世界に投影してしまいます。

 

あなたは、ほかの人のなかに肯定的なことが見えたとき、たぶん自分にはそんな部分はないと思うことでしょう。

それは罪悪感や、圧倒されてしまう怖れのために、自分の「才能」という贈り物を抑えこんでいるのです。

人からの羨望を集めたくないとか、その才能でリーダーシップを発揮してしまうのを怖れて、それを遠ざけているのかもしれません。

けれども、それはあなたのなかに、いまも潜在的な可能性として存在するのです。

さもなければ、ほかの人の才能に共感できるはずがありません。

 

同じように、人のなかに見える否定的なことも、じつはあなたが自分はそうだと信じていることなのです。

ためしに、あなた自身のその部分を許してみてください。

すると他人のその部分が気にならなくなるのがわかるはずです。

 

人のなかに見えることが、本当は自分について考えていることだとしたら、あなたは人への判断を変えなければなりません。

そうしないかぎり、人のなかに見えることがあなたを苦しめつづけることでしょう。

そして、あなたは身動きがとれなくなり、何かのために自分を犠牲にすることになります。

 

すすんで相手を許し、あなた自身のなかにある判断を変えましょう。

それによって肯定的な才能がふたたび表面にあらわれてくるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.169

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2.自分のなかにあるものしか、見えない

人のなかに見えるものは、すべて自分のなかにあるもの。

いろんな場面で言われることですが、なかなか認めづらいものですけれどね。

今日は、このテーマについて少し考えてみたいと思います。

自分の中に無いものは、見ることができない

今日のテーマを、自分のきらいな部分から話し始めると、とたんにどよーんとした空気になりそうです笑

なので、価値や魅力という面から、初めてみたいと思います。

先日、私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本」(学研プラス)の書評を書きました。

そのなかで、出てきたワークを引用させていただきます。

【質問1】

あなたの周りにいる人は、どんな魅力を持った人ですか?
その魅力をリストアップしてみましょう。

【質問2】

あなたは、どのような人に憧れを持ちますか?
その憧れる要素をリストアップしてみましょう。

前掲 p.103,104

まだご覧になっていない方は、ぜひ考えてみていただきたいワークです。

いきなり種明かしになってしまいますが、ここで出てきた魅力や憧れる要素は、すべて自分自身の価値であり魅力なんです。

私たちは、自分の心の内面にあるものを、外の世界に映し出します

これを「投影」といいます。

逆から見れば、自分のなかに「無い」ものは、他人に見ることはできない、とも言えます。

そうなんです。

「あの人は、リーダーシップと包容力があるよね」と感じるとき、それはその人のなかにも、それらの魅力があるからこそ、そう感じるわけです。

私たちは、自分の感情、過去に出会った人や経験、価値観といったものを、外の人やものに映し出します。

先ほどのワークのなかで出てきたものは、すべて自分自身の価値や魅力なわけです。

「投影」という、心理学の最も大切な考え方の一つです。

自分のイヤな部分も、外に映し出す

さて、ここからが、少ししんどい部分です。

あまり深刻にならず、「へー、そんな考え方もあるのか」くらいで聞いてくださいね。

先ほどの話の逆もまた、成り立つわけです。

自分の価値や魅力が、周りの人に見えるのだとしたら。

その逆に、自分のきらいな部分もまた、周りの人に見てしまうわけです

私たちは自分自身のきらいな部分を心の奥にうめてしまい、それを自分の周囲の世界に投影してしまいます。

私たちは、自分のきらいな部分、イヤな性格、許しがたい性質などを、自分の心の奥底に沈めてしまいます。

それは、そうした自分でいることで、傷ついた経験がそうさせます。

「こんな自分は、嫌われる」
「こんな性格の私は、愛されない」
「こんな私は、外に出してはいけない」

そうして、周りから「愛されるための自分」という仮面をかぶります。

しかし、その心の奥底に沈めた、「受け入れられない私」は、なくなるわけではありません。

それどころか、それを見ないようにしているようで、意識はそこにとらわれています。

「パンダのことを、考えないでくださいね」

と言われると、誰でも、あの白黒のもふもふを想像してしまうように。

そうすると、その「受け入れられない私」を、外の世界に見出すわけです。

はい、イヤですねぇ、ほんと…

あのイヤなヤツ、許せない相手、大嫌いなあの人が、私のなかにある要素だなんて…

ここで大事なのは、これを「自分責めの材料にしない」ということです。

これは、何度も繰り返し書いていることです。

イヤなものは、イヤでいいんです。

それを、無理に「イヤと感じることは、ダメなんだ」としてしまわないことです。

それは、ただでさえイヤだと感じている自分を、さらに責めて否定してしまうという、二重の意味で辛いことです。

イヤなものは、イヤ。

まずは、その気持ちを、感じたことを、否定しないこと。

今日のお話は、ぜひそうした上で、考えていただけたら幸いです。

3.投影と、許し

隠そうとするほどに、周りにあらわれる

自分の魅力的な部分も、否定している部分も。

それを認めることは、なかなか勇気がいります。

だからこそ、それを隠そう、隠そうとしてしまう。

そうして押し込めた自分を、周りの人は教えてくれるわけです。

「あなたは、こんな人なんですよ」と

それは否定的なこともそうですが、魅力的な部分にも、抵抗はあるものです。

人からの羨望を集めたくないとか、その才能でリーダーシップを発揮してしまうのを怖れて、それを遠ざけているのかもしれません。

出る杭は打たれる、ということわざがあります。

まさに「打たれる」ことを怖れて、自分を出さないようにする。

その才能や魅力を、できるだけ周りに見せないようにする。

往々にして、そうしてしまいますよね。

でもね、バレバレなんです。

きっと、周りの人はよーくわかってます。

カウンセリングなんかで、「こんな素敵な才能が、魅力がありますよね。ほんと、素晴らしいですよね」などとお話しすると、よくぽかーんとされるのですが笑

周りが教えてくれる価値や嫌悪を扱い方

価値や魅力は「認め」、イヤな部分は「許す」

周りの人に見える、価値や魅力は、すべてあなたそのものの価値であり、魅力です。

それを、無理やり「受け入れよう!」とすると、抵抗を感じるかもしれません。

強く押し込もうとすると、反作用の力も出てくるのと、同じかもしれません。

「ふーん、そんな見方もあるのね」くらいの、軽い感じで、まずはいいと思います。

少しずつ、少しずつ、浸透していきますから。

そして、人の中にある、イヤな部分、許せない部分、きらいな部分。

それを、許しましょう、と引用文では言います。

すすんで相手を許し、あなた自身のなかにある判断を変えましょう。

「許し」と聞くと、どこか聖人君子のような、そんな印象を受けるかもしれません。

それを聞いて、「ああ、そうか」とできる人はいいのですが、なかなかそうもいかないのが、人情ですよね。

それができるなら、苦労しないよ、というか笑

しかし、「許し」とは、相手のためにする、利他的な行為、自分を犠牲にする行為ではありません

もちろん、そうした意味もあるかもしれませんが、「許し」の最も大きな恩恵は、自分に降り注ぎます。

情けは人の為ならず、許しも…

「情けは人の為ならず」という言葉があります。

人のためにしないのならば、誰のためにするのでしょうか?

そうですよね、「自分のため」です。

他人にかけた情は、めぐりめぐって、自分のもとに還ってくる。

「許し」も、似たような面があります。

そのイヤな、嫌いな他人を許すことは、自分自身に、莫大な恩恵を与えてくれます。

なぜなら、他人のイヤな部分を許すと、自分自身のなかにある、その部分も許せるようになります

ためしに、あなた自身のその部分を許してみてください。

すると他人のその部分が気にならなくなるのがわかるはずです。

そうすると、生きづらさが格段に減ります。

深呼吸が、できるようになります。

なんだか、とても生きることが軽く感じます。

「許し」とは、利他的で犠牲的なものではなく、自分に大きな恩恵を与えてくれるものです。

これを、「自己肯定感が高まった」と見ることもできますし、「自分らしく生きる」と呼ぶこともできるのでしょう。

そう考えると、他人のなかに見える、イヤな部分というのは、宝物なのかもしれません。

もちろん、まずはイヤなものはイヤ、が大原則ですけれどね。

 

今日は、「投影」から「許し」という、心理学のツートップともいえる考え方をご紹介しました。

周りの人のイヤな面が目についたときの、ご参考になりましたらと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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