大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

誰かを責め続けることの怖さと、そこから抜けるための「許し」のプロセスについて。

他人を批判したり、責めたりすると、自分を幸せから遠ざけます。

だからといって、「批判しないでいよう」と無理に自分を抑えるのもまた、辛いものです。

そうした人の心理と、「許し」という万能薬について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.許しとは、前に出てきて与えること

罪悪感があると、引きこもりがちになります。

自分自身の価値を認めなかったり、無価値感を覚えていたり、みずからを犠牲にしていたり、何かを喪失した苦しみをまだ手放していないとき、そうした感情が私たちを引きこもらせます。

 

あらゆる喪失感や無価値感は、いまの人生における他者への批判というかたちであらわれます。

その人たちを許したとき、私たちはその人たちへ与えることになります。

自分が何年も前から引きこもってしまったところから前に出てきて、与えることができるのです。

いま種をまけばまくほど、あなたは未来に豊かな実りを手にするのです。

 

いったん許せばふたたび人生が流れだし、そこではじめて受けとることができるようになります。

あなたが許し、前方にむかって与えるとき、幸福を感じることでしょう。

許しによって、隠れていた部分のすべてをよみがえらせることができます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.173

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2.誰かを責めることの怖さ

今日のテーマは、「許し」でしょうか。

何度書いても、「全然足りない」と感じるのは、やはり「許し」がそれだけ深遠で、大切な概念だからなのでしょう。

あなたが幸せでないならば…

「あなたが幸せでないならば、それは誰かを許していないから」

心理学では、そんな格言があります。

誰かを許していないと、その人を責め続けます。

「あの人のせいで」
「あいつが悪い」
「あんなことをされたから」

そんな言葉が、常に頭を離れなくなります。

それが「いい/悪い」という倫理的な判断は別として、誰かを責めているその状態は、ふたつの意味で、自分の幸せを遠ざけます。

まず一つ目は、その状態にいると、その相手に対して「復讐」しようとします。

自分を幸せにしない選択、自分を傷つける選択を、重ねていきます。

そうすることで、「ほら、私がこんなにひどい状態なのは、あなたのせいなんだよ」と主張するわけです。

はい、ドロドロしてますが、思い当たる節がありますねぇ…笑

そして二つ目は、その相手を責めることによる「罪悪感」です。

「復讐」もドロついてしんどいものですが、この「罪悪感」もまた、辛いものです。

誰かを責める「罪悪感」は、人を引きこもらせる

「作用・反作用の法則」という、物理法則があります。

ニュートンによる「運動の第三法則」ともよばれますね。

AからBに力(作用)を及ぼすとき、必ずBからAへ、逆向きの等しい力(反作用)もはたらく、という法則です。

相手を責める、ということも、この法則と似ているように感じます。

相手を責めた分、その刃は自分にも返ってきます

それは、道徳や倫理からの話ではなく、人の心の「罪悪感」の面からです。

人を批判したり、人を責めたりすると、その「罪悪感」は自分の心を蝕んでいきます。

すると、自分の人生を前に進められなくなります。

罪悪感があると、引きこもりがちになります。

冒頭のこの一文が、そのまま真実ですよね。

「罪悪感」があると、自分だけの世界に、引きこもってしまう。

そして、延々と相手を責め、そしてその刃で自分を傷つける、というループに入ってしまいます。

だからといって、「他人を批判しないようにしよう、責めないようにしよう」といっても、解決にはなりません。

「責めないようにしよう」「憎まないようにしよう」と言われて、「はい、わかりました!」とはならないのが、人の心というものなのでしょう。

3.「許し」と感情の解放

「許し」は、感情の解放から

相手を責めることは、自分にとってもイバラの道。

けれど、相手を責めることを我慢するのも、また辛い。

それは、自分の感情に蓋をして、抑圧してしまうことだから。

では、どうするか。

ベクトルを、相手ではなく、自分に向けます。

相手が憎い、批判したい、責めたいと思うとき、私たちの意識は、相手に向いています。

ええ、そりゃあもう、怨霊を飛ばすくらいですよね笑

その意識を、自分に向けるとは、どういうことか。

その相手のことを考えるのではなく、自分の感じている、その気持ち、感情を感じ尽くすんです。

悔しかった。寂しかった。激怒した。悲しかった…

自分自身にベクトルを向けるとは、そういった感情から目を逸らさずに、向き合うことです

紙に書きなぐる、声に出して叫ぶ、身体を動かす…いろんな方法が、あると思います。

感情は、抑えようとすると増幅します。

その反対に、感じるほどに消えていきます。

その感情の解放が、「許し」の一歩目です。

感情的な理解と、「許し」の恩恵

自分の感情を解放していくと、心の中にスペースができます。

どこか、ぽっかりと穴があいたような、そんな感じがしたりします。

または、ぎゅーっと握りしめていたものがなくなって、寂しさを感じたりもします。

カウンセリングを受けると、スッキリするというのは、話すことで感情の解放が起こるからなのでしょう。

そうすると、ものごとをいままでとは違った角度で、見ることができます。

「あのとき、あの人も、大変な状況だったのかもしれない」

「もう、あのことにこだわっていても、仕方ないかな」

…などなど。

こうした感情的な理解ができると、もう「許し」への峠は越えたようなものです

その相手やできごとに、感謝できることも、できるようになります。

そうすると、私たちは莫大な恩恵を受け取れるようになります。

その人たちを許したとき、私たちはその人たちへ与えることになります。

自分が何年も前から引きこもってしまったところから前に出てきて、与えることができるのです。

いま種をまけばまくほど、あなたは未来に豊かな実りを手にするのです。

その実りとは、いきいきとした生かもしれません。

ライフワークと呼べるものかもしれません。

真実のパートナーかもしれません。

世界との一体感や、愛されている実感かもしれません。

ただ、そうした大きな恩恵を受けとることは、確かなのでしょう。

それにしても、不思議なものですよね。

相手を批判して責めているとき、ほんとうは与えてほしいのに、受け取れず。

その相手を許していくと、与えられるようになり、受け取れるようになる。

人の心とは、本当に不思議なものです。

 

今日は、「許し」についてお伝えしました。

やはり、何度書いても、言葉が足りないように感じます。

それだけ大切なテーマなのですから、これからも書いていきたいと思います。

今日もお越しくださり、ありがとうございました。

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