大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「感情」を抑えこんだとしても、いつかそれを感じ、癒すことができるチャンスがやってくる。

「感情」という、この不思議な心の動きについて、考えてみます。

コントロールすることもできず、ただ浮かんでは消えていく「感情」。

もしそれを抑えこんだとしても、いつか感じ、癒すことができるチャンスがきます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.ほとんどの否定的な感情は、現在とは無関係なもの

私たちはふつう、最後まで感じきる勇気がなかった感情を、すべてためこんでしまうものです。

そして、過去の感情を解き放つ機会を与えてくれる経験を、現在の人生につくりだします。

 

いまあなたが痛みを触発された状況についてもう少し詳しく見ていくと、ここで経験している痛みのほとんどは、現在の状況とは関係がないことに気づくでしょう。

現在の痛みは、長いあいだためこんできた感情のわずか数パーセントにすぎません。

 

人生に対してオープンになり、人生から受けとれるようになるためには、いま痛みによって触発された感情を外に出してあげる必要があります。

こうした感情が抑圧されたままだと、私たちの内側でうずきはじめ、やがて毒を持つようになります。

そして健康や、人生の楽しみや人間関係にも、悪影響をおよぼすのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.177

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2.抑圧した感情は、生に悪影響を与える

今日のテーマは、「感情」です。

人を人たらしめているともいえる、この不思議な「感情」について、考えてみたいと思います。

コントロールできない、「感情」

時に、私たちは「感情」を邪魔もののように、扱ったりします。

どうやって「感情」をコントロールするか、というニュアンスの話があったり、人前で泣くことは恥ずかしいことだ、みたいな言葉があったり。

その一方で、映画や舞台、スポーツ、あるいは推しのコンサートなど、お金を払ってまで「感情」を揺さぶられに行ったりするわけです。

考えてみれば、不思議ですよね。

けれど、大前提として、「感情」はコントロールできない、という性質があります

「感情」はよく、「天気」や「ウ〇コ」に例えられます。

雨降りをどうにかしようとしても、どうにもなりません。

ただ、雨の日は雨の音とともに暮らすすか、ありません。

また、たとえば通勤中にお腹が痛くなったとして。

それを「そんなことない!」と否定しようとしたら、大惨事になってしまいます。

天気も、ウ〇コも、どちらもコントロールしようとしても、できないものです。

ただ現れ、ただ流れていくものです。

「感情」は、コントロールできない。

それが現れたら、ただ感じるだけ。

このことは、何度立ち戻ってもいいくらい、重要なことのように思います。

できないことをしようとするとき、悲劇がおこる

なぜ、「感情」がコントロールできないことが、重要なのか。

それは、できないことをしようとするとき、無理が生じたり、悲劇が起こるからです。

いくら私が、
「これは、よくない感情だから、感じないようにしよう」
と考えたところで、浮かんでくる感情は消えないですし、無理が生じるわけです。

これは、意識的に「感じないようにしよう」と考えている場合もありますし、無意識的にその感情を感じるのが怖くて避けてしまう場合もあります。

私たちはふつう、最後まで感じきる勇気がなかった感情を、すべてためこんでしまうものです。

引用文の冒頭に、ある通りですね。

私たちの中で、立ち現れた「感情」。

それを、感じないようにしてしまうと、それを私たちは自分の心の奥底に溜め込んでしまいます。

この「未消化な感情」が、私たちの人生に悪さをするわけです

こうした感情が抑圧されたままだと、私たちの内側でうずきはじめ、やがて毒を持つようになります。

そして健康や、人生の楽しみや人間関係にも、悪影響をおよぼすのです。

「内側でうずきはじめ、やがて毒を持つ」。

ほんとうに、その通りだと感じる表現です。

感じ切ることができなった悲しみ、寂しさ、劣等感、憎しみ、あるいは絶望感といったネガティブな感情は、澱のように心の奥底に沈んでいきます。

それは決して、自然になくなることはなく、時間とともに腐敗して、毒を持つようになるようです。

3.その感情は、いつのものだろう

目の前のできごとは、感情を感じさせるためのもの

さて、そのように「感情」が抑圧された状態にあると、それを感じさせるようなできごとが、周りに起こります。

そして、過去の感情を解き放つ機会を与えてくれる経験を、現在の人生につくりだします。

引用文では、それが「起きる」というよりは、「つくりだす」と表現されています。

「すべての問題は、自作自演」という格言があります。

私たちの身の上に起きる、さまざまな問題。

それは、私たちが自分の未消化な感情を、あらためて感じるために、自分が引き起こしたこと、と見ることもできそうです。

すごい見方ですよね。

注意していただきたいのは、この見方を自分責めに使わないでほしいな、と思います。

「だから、私が悪いんだな」というように。

そうではなくて、目の前のできごとは、私たちにその未消化な「感情」を感じさせるためにある、というだけです。

同じできごとがあったとしても、そこから感じることは、人によって違います。

「恋人と別れた」というできごとがあったとして、とても大好きだった恋人と別れるのは辛いことでしょう。

けれど、ずっと別れたいと感じていて、他に気になる人がいたとしたら、どうでしょうか。

何を感じるかは、その人による。

それならば、「目の前のできごとは、何を感じさせてくれるのか」という視点を持つことも、できるのではないでしょうか。

感情には、時間の概念がない

いまあなたが痛みを触発された状況についてもう少し詳しく見ていくと、ここで経験している痛みのほとんどは、現在の状況とは関係がないことに気づくでしょう。

目の前のできごとから感じる、不快な感情。

その不快な感情は、そのできごとがすべての原因では、ないのかもしれない。

実は、ずっとずっと昔から、抱えてきたものが、ただそのできごとをきっかけで、浮かび上がってきた。

もともと抱えていた、未消化な感情なのかもしれない。

カウンセリングでは、「いままでに、同じように感じたできごとは、ありませんか?」とお聞きすることがあるのは、そんな視点からです。

感情を抑圧することは、辛いし、しんどいものです。

けれども、抑圧せざるをえなかった、ともいえると思います。

そのときは、受け止めることができないくらい、悲しかった、というように。

あまりに強い悲しみがあると、人はシャットダウンするように、感情を閉じてしまうものです。

大切な人を亡くしたとき、お葬式で涙も出なくて、何も感じていなかった、ということがあります。

それは、その人が冷たいわけでも、なんでもなく、ただ、感じることができないでいるだけなのだと思います。

そのことに、いいも悪いもありません。

ただ、そうするほか、なかったのでしょう。

 

「感情」は、それを感じない限り、どれだけ時間が経ってもなくなりません。

けれども、それは逆にいえば、どれだけ昔のできごとであっても、感じることができる、ともいえます。

「感情には、時間の概念がない」、と言われたりもします。

そのときに感じられなかった感情は、時間が経っても、必ず感じることができます

そして、「感情」を感じることは、それ自体が大きな「癒し」です。

そう考えると、目の前の不快なできごとは、やがて「癒し」にいたる道の過程なのかもしれません。

そうはいっても、イヤなものはイヤ、ですけれどね笑

 

今日は、「感情」について、いろんな面から考えてみました。

いつもにまして、詰め込み過ぎてしまった感もありますが、また機会をあらためて、書いていきたいと思います。

今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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