大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「自立」が過ぎると感情が感じにくくなる理由と、その処方箋。

「自立」していると、感情が感じることが難しくなります。

それは、「依存」の時代に思うようにならなかった痛みが、怖いからです。

そして、なかなかそれは一人で向き合うことは難しいので、誰かと一緒にすることが求められます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「自立」を選ぶとき、情熱を捨てる

情熱には二種類あります。

ひとつは緊急性からくるもの、もうひとつは全面的に自分自身を与えるところから生まれるものです。

 

私たちが「自立」を選択するときは、自分の欲求を遮断して緊急性の感覚を切りはなすことを選んでいます。

しかし、まだ自分自身を100パーセント与えるところまで行ってはいません。

自分から欲求や痛みを切りはなしてしまうことは、自分自身の内面に見たくない未完了の出来事が残ることになります。

心のなかにこうした知らない痛みをかかえているために、あなた自身を100パーセント与えることが抑えられてしまうのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.186

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2.「自立」は感情を遠ざけてしまう

今日のテーマは、「自立」でしょうか。

その中でも、「自立」と感情の関係について、お伝えしていきたいと思います。

心の成長プロセス、「依存」から「自立」

「自立」というと、一般的には「よいもの、そうすべきもの」というニュアンスがあります。

しかし、心理学においては、必ずしもよいばかりではなく、ネガティブな面もあります。

私たちの心の成長は、「依存」から「自立」、そして「相互依存」へといたるプロセスをたどります。

これまでも、何度も書いてきたので、耳タコかもしれません笑

幼少期、学校に入ったとき、進学したとき、働き始めたとき、パートナーシップ…あらゆる面で、私たちの心はそのようなプロセスをたどります。

自分では何もできず、誰かに何とかしてもらいたいのが、「依存」の時代。

しかし、それでは相手に振り回されてしんどいので、私たちは他人に頼るのをやめ、自分で何とかしようとします。

この、なんでも自分でやろうとするのが、「自立」の時代の特徴です。

そして、「依存」の時代に傷ついて辛かった分だけ、その傷ついた感情を封印し、感じないようにしようとします。

そのため、「自立」が強い人は、非常に思考が優位になります。

あまりに「自立」が過ぎると、感情が感じられないロボットのような状態になったりします。

はい、あれは、辛いものですね…いや、辛いという感覚も、当時は分からないのですが笑

「自立」は、怒りを使って感情を抑圧する

この「自立」が強い状態になると、感情を抑圧してしまう。

そのときに特徴的なのが、「怒り」を使って、感情を抑圧するといわれます。

よく「自立」が過ぎた人が感じるのは、「怒り」か「性欲」だけ、と言われたりもします。

はい、これも思い当たる節がありますねぇ…傍から見ると、いつも怒っているように見えてしまうわけです。

逆に言うと、「怒る」くらい、感情を感じることが怖いわけです。

「依存」時代の、あの辛い感情は、もう二度と味わいたくない。

寂しさ、悔しさ、情けなさ、悲しさ…もう、あんなものは、二度とごめんなわけです。

その感情を感じてしまったら、「依存」時代に戻ってしまうような、そんな気がする。

だから、「怒り」によって、感情を抑え込んでしまう。

それを繰り返していくと、どんどん感情がマヒしていってしまう。

しまいには、無気力、無感動なロボットのような状態になり、やがて燃え尽き症候群になったりもします。

この状態を、デッドゾーンと呼んだりもしますね。

あらためて、ここまでのプロセスを見ていくと、今日の引用文のタイトルの「自立を選ぶとき、情熱を捨てる」が、よく分かるのではないでしょうか。

3.「自立」と、情熱と

「依存」時代の忘れものは、恩恵である

さて、そうした「自立」の時代から、次の「相互依存」というステージがあります。

これは、「自分でできることは自分でする、自分でできないことは誰かに頼る」という状態です。

どちらも与えるし、どちらも受けとる。

Win-Winの関係性ともいわれ、相手と対等な状態ともいえます。

そこへ至るために、「自立」時代にやっていなかったことが、求められます。

任せる、委ねる、受けとる、手放す、サレンダーする…

はい、「自立」時代には、まったくなかったテーマですよね。

「他人に頼るなんて、迷惑をかけてはいけない!」

「自分のことは自分で!」

「頑張って何とかしないと!」

という価値観からすると、コペルニクス的転回なわけです。

このときの一つのカギになるのが、やはり「感情」なわけです。

自分から欲求や痛みを切りはなしてしまうことは、自分自身の内面に見たくない未完了の出来事が残ることになります。

心のなかにこうした知らない痛みをかかえているために、あなた自身を100パーセント与えることが抑えられてしまうのです。

「自立」のなかで切りはなしてしまった、未完了の感情。

それは、「依存」時代の忘れものかもしれませんが、大きな恩恵のようです。

カウンセリングの恩恵

さて、この「自立」的な人に、カウンセリングはおすすめなわけです。

話をすることで、自分の感じていること、思っていることを吐き出すこと。

そうしていくうちに、「自立」の過程で切りはなしてしまった、自分自身の感情を取り戻していくことができます。

私自身も、そうでした。

とても感じることができないと、自分のなかに抑え込んでしまった、辛い感情。

とても一人では、感じることが怖く、難しいかもしれません。

けれども、人と話しているうちに、それを吐き出していくことができます。

話をするって、不思議ですよね。ほんとに。

そうして、一つ一つの感情を、あらためて感じていくことができると、やがて心はやわらかさを、そして静けさを取り戻していきます。

そこにこそ、情熱は宿るのだと思います。

引用文にある通り、情熱は緊急性からくるものもあります。

けれども、内燃機関のように長続きする情熱とは、きっと静けさの先にあるように思うのです。

 

今日は、「自立」と感情の関係について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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