生きている中で、形を変えて何度もあらわれる「問題」があります。
その「問題」には、未完了の感情という、共通の根っこがあるという見方ができます。
そうした「問題」は、自分の最も根源的なアイデンティティを教えてくれる、宝物なのかもしれません。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.問題があるのは、古い問題からくる古い痛みにしがみついているから
たとえいまの問題を切りとったとしても、根は残ります。
その古い根がまた別の問題を生み出すのです。
ですからどこに根があるのかを見つけることが本当に役に立ちます。
すると一見新しい問題として、人生のさまざまな分野にその根が姿をあらわしてくることに気づくでしょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.192
2.問題の根っこは、どこにあるのだろう
今日のテーマは、「問題の根っこ」でしょうか。
私たちは生きる中で、さまざまな問題に出会いますが、それらに共通する根っこがあるのではないか、という見方です。
「過去に同じように感じたことは、なかったでしょうか?」
カウンセリング的な見方の一つとして、その感情を感じる場面を、過去に感じたことはなかったのだろうか?というものがあります。
「どうでもいいと感じる人には簡単に好かれるのに、自分が惹かれる人には、愛されない」
たとえばそんな問題があったとして、「過去に同じように感じた経験がなかったでしょうか?」という質問をしたります。
もちろん、「さあ?あまり思いつかないです」というお答えが返ってくることもあります。
けれども、「あ、そういえば、この感じは、あのときに似ていて…」とお話しをいただけることもあります。
それは、いまのパートナーではない、過去のパートナーのお話だったり。
あるいは、過去の友人との関係で起こったことだったり。
時には、幼いころに家族のなかで感じたできことだったりもします。
不思議ですよね。
もう何年も、何十年も経っているのに。
ふっと、そうしたことをカウンセリングのなかでお話しいただくと、ほんとうに人の心の不思議さや美しさ、そして繊細さを感じるものです。
感情には時間の概念がない、とはいいますが、カウンセリングをしていると、まさにそんなことを感じることがあります。
未完了の感情が、問題の根っこになる
そうした、いわば「未完了の感情」は、自然になくなることはありません。
自分が感じない限り、心の奥底でくすぶり続けます。
そして、その「未完了の感情」が、いろんな問題の根っこになることがあります。
たとえいまの問題を切りとったとしても、根は残ります。
その古い根がまた別の問題を生み出すのです。
引用文にある通りですよね。
いま目の前にある問題を、無理やりに消し去ったとしても、また根っこから新しい問題が生えてくる、と。
私の場合は、根っこにあるのは「寂しさ」でした。
その「寂しさ」を認めず、それを無視して、抑圧しようとするたびに、その「寂しさ」をことさらに感じさせるできごとが、頻発する。
それは、形を変え、場所を変え、タイミングを変え、起こりました。
はい、イヤですねぇ、ほんと…(白目)
まあ、だからこそ、こうしてブログを書いて、カウンセリングをしているのではありますが…
さて、こうしたことは、なかなか一人では気づきづらいものです。
ある意味で、その問題があることが、「当たり前」になってしまっていることも、大きいのでしょう。
実家にいるときは、そのありがたみに気づかないように。
日本で暮らしていると、きれいな水のありがたいみを意識しないように。
その問題があるのが、「当たり前」になってしまっているゆえに、なかなか一人では気づけないものです。
だから、人と話す、ということは、最も偉大な癒しの方法の一つなのだと思います。
3.何度も現れる問題こそ、アイデンティティの根源
ピアニストは腱鞘炎をなくせるのか?
時に、生きていく中で、何度も形を変えて現れる問題というものがあります。
違う相手や、違う場面であっても、何度も同じように悩む問題。
時にそれを、「慢性的な問題」と呼んだりもします。
「どうでもいい人には好かれるのに、自分が惹かれる人には愛されない」
「いつも相手に尽くしすぎてしまい、限界を超えると自爆してしまう」
「親しくなるほどに、自分の意見や感情を伝えることができなくなる」
…などなど、それは場面を変え、時を変え、相手を変え、起こります。
「また、これか…」とウンザリするものです。
それが、上に述べた「問題の根っこ」から生まれてくるとして、それが分かったとしても。
その根っこを完全になくすことは、難しいようです。
それはある意味で、持病のように付き合っていくしか、ないのでしょう。
歌手が、喉の痛みを慢性的に持っているように。
ピアニストが、常に腱鞘炎をケアしているように。
小説家が、肩コリと腰痛に、慢性的に悩まされるように。
それは、「なくす」というよりも、「うまくつきあう」ことを考える方がいいのでしょう。
だって、それらの持病は、歌手であり、ピアニストであり、小説家であるから、その持病を持っているのですから。
それをなくすのは、引退するときなのでしょう。
同じように、あなたの慢性的な問題は、それをなくしてしまったら、あなたはあなたでなくなってしまうのかもしれません。
それがあるがゆえに、あなたはあなたでいられる。
ピアニストと、腱鞘炎のようなもの。
もちろん、だからといって、問題はイヤなのは、代わりないのですけれど笑
問題の原則 ~大切なものだからこそ
さて、そのうえで、常に意識したいのは、「どうしてそれが問題なのか」という視点です。
同じ根っこから生まれてくる、さまざまな問題があるとして。
なぜ、それを「問題」と思うのかは、その人のアイデンティティにかかわるものです。
もしそれが、「慢性的な問題」だとするなら。
なおさら、その傾向は強くなるわけです。
もう、その人の根源に触れるような、大切なものだからこそ、ずっと悩み続けるわけです。
問題の根っことなる、未完了な感情があったとして。
それが悪いわけでも、なんでもありません。
問題の根っことは、その人にとって、大切なものを指し示す、宝物の地図のようなものだと、私は思うのです。
えぇ、もちろん、「問題」そのものは、イヤなものですよ笑
けれども、もしかしたら、形を変えて何度も現れるような「問題」が、宝の地図だったとしたら。
少し、その「問題」に対する見方も、変わるのではないでしょうか。
私たちは、大切なものでしか、悩みません。
慢性的に、ずっと悩み続けている「問題」があるとしたら。
それだけ、大切なものだからこそ、と見てみることができそうです。
今日は、「問題の根っこ」というテーマで書いてみましたが、いつもと同じようなお話に落ち着いてしまったようです。
それだけ、この見方が私にとって、大切なものなのでしょう笑
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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