どんな見方であっても、自分を責めることに使ってしまっては、意味がありません。
「その見方は、自分に対して愛があるのか?」という問いかけを持つことは、大切なことです。
1.相手の言動を背負い過ぎないこと
昨日は、相手の言動を背負い過ぎないこと、というテーマでお伝えしました。
「投影」の視点を使うと、いろんなものの見方ができます。
たとえば、周りの人の欠点ばかりが目に付くとき、それは自分自身に対しても同じように見ていることの投影と見ることができます。
「あの人は、ほんとに周りの人に思いやりがない!」と見えるなら、もしかしたらそれは自分の思いやりのなさを映し出しているのかもしれません。
特に、パートナーなどの関係性の近い存在ほど、こうした「投影」は色濃く反映されるものです。
こうした「投影」の見方をするならば、相手の言動もまた自分の内面を振り返り、フィードバックするための糧になります。
ただ、あまりにその見方を突き詰めすぎて、自分を追い詰めないようにしたいものです。
あくまで、投影も一つの見方に過ぎず、「自分を守る」という視点を大切に持ちたいというのが、昨日のテーマでした。
「雨が降っても、槍が降っても、自分のせい」と考えるのは、それだけ成長できるかもしれませんが、それが自分責めや自分いじめにならないようにしたいですよね。
2.薬も過ぎれば毒となる
はい、小見出しの通りです。
もうそれ以上は、ありません笑
どんな有益な考え方や見方であっても、やり過ぎてしまうと、それが毒になってしまうことがあります。
美味しいお酒も、過ぎればこの世の終わりのような二日酔いになってしまうように。
周りの人への気遣いも、過ぎれば自己犠牲になってしまうように。
自責もまた、過ぎれば罪悪感にまみれてしまうように。
「ほどほど」ではないですが、バランスを取ることが大切です。
古代ギリシアの哲学者、アリストテレスは「中庸」と表現しましたが、一方の極に振れてしまうのではなく、両方のバランスを取りながら歩くことが大切なようです。
「投影」のテーマもまた、同じです。
自分の目に映る世界は、自分の心の中を映し出したもの。
それはそれで真実なのですが、だからといって世界中の罪や悪を、すべて自分のものとして背負う必要はありません。
そんなことができるのは、歴史上の聖人だけです笑
3.それは、自分にとって愛があるのか?
ただ、バランスを取るというのも、なかなか難しいものです。
自分を甘やかしているのか、それとも、やさしくしているのか。
自分をいじめているのか、それとも、厳しくしているのか。
これって、難しいところですよね。
たとえば筋トレにしたって、身体に負荷を与えて、筋繊維を傷つけているわけですよね。
それだけ見れば、「自分を傷つけている」ことになってしまいますが、その筋トレによってもっと身体が強くなったり、具合がよくなったりするわけです。
ものの見方って、難しいですよね、ほんと。
一つの基準というか、カギになるのは、「その見方は自分にとって愛があるのか?」という見方です。
「獅子は我が子を千尋の谷に…」ではないですが、事象だけを見ても、それは分からないものです。
その見方の根底にあるのは、自分への愛なのか。
それとも、自己嫌悪だったり、罪悪感だったり、不安や怖れだったりするのか。
どんなときでも、その問いかけを持ってみることは大切なことです。

今日は、相手の言動を、必要以上に背負い過ぎないこと、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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