私たちは、常に自分の価値観を相手に「投影」してしまうものです。
それを崩してくれるのが、感情的理解であり、それは相手との間に架け橋をかけてくれるものでもあります。
1.愛の伝え方、人それぞれ
先日の記事では、幸せで満たされているときにそれをするだろか?、というテーマでお伝えしました。
幸せで満たされているときに、それをするだろうか。 - 大嵜直人のブログ
愛の伝え方、受けとり方というテーマからのお話です。
愛の伝え方には、いろんな伝え方があります。
分かりやすいものもあれば、人によっては分かりにくい伝え方をする人もいます。
「ツンデレ」の「ツン」の部分なんか、そうですよね。
ツンツンと冷たい対応してしまうのが、愛の表現だったりするわけです。
もちろん、そうなってしまうのには、それなりの理由があるわけです。
恥ずかしさだったり、罪悪感だったり、あるいは過去のできごとからくる痛みだったり。
分かりにくい愛の伝え方をするときは、何がしかの理由があるのではないか、と想像をすることが、受けとれる愛の総量を増やしてくれます。
「あの人の、精一杯の愛情表現なんだな」と思えたら、ツンツン対応も、ちょっと違って見えてくるのではないでしょうか。
先日の記事では、そんなテーマでお伝えしました。
2.人は常に相手に自分を投影するもの
ただ、そうはいっても、なかなかそれを想像するのは難しかったりします。
なぜ難しいかといえば、「投影」の心理が強くはたらくことが、一つの原因です。
「投影」とは、自分の心の中にある感情などを、外の世界に映し出すことを指します。
悲しい感情が心のなかに横たわっていれば、何を見ても悲しく見えます。
反対に、欠けるものがないくらい満たされていたら、出会う人はみな満たされて、幸せそうに見えるのでしょう。
さて、こうした感情の「投影」もそうなのですが、自分自身の価値観とか観念とかを「投影」する場合もあります。
これが、けっこう厄介というか、気づきづらいものです。
それは、そうですよね。
天動説を信じている人にとっては、地球が動いているなんて、気づくことは難しいですもんね。
それはともかくとして、「自分は愛情を伝えるときに、こうする(はず)」というフィルターを、常に私たちは相手にかけているものです。
そうすると、「そんな伝え方は、おかしい」とか、相手とのすれ違いの原因になってしまったりします。
「自分が当たり前にすることは、相手も当たり前にするはず」
その前提は、すれ違いを生んでしまうのかもしれません。
3.感情的理解が、相手との間に架け橋をかける
たとえば、
「仕事を手伝ってもらったら、感謝を伝えるのが当たり前」
と思っているのに、相手が感謝を伝えてくれるどころか、不機嫌になってしまったら、そりゃあ「おかしい!」と思いますよね。
それは、そうです。
あなたが、全面的に正しいです笑
でも、愛し方、受けとり方の範囲を広げるときに大切なのは、この正しさをいったん保留するというか、カッコに入れることです。
そりゃあ、助けてもらったらお礼を言うのは、人として当たり前のことです
そこは、それでいいんです。
でも、そこで「お礼を言えない」相手の心情を、想像してみることから、すべてははじまります。
仕事が遅いと思われていると感じて、恥ずかしかったのかもしれない。
自分一人だけでやり遂げたい仕事だったのかもしれない。
こちらに対して競争心があるというか、ライバル視していたのかもしれない。
いままで助けてもらった経験が少なくて、素直に「ありがとう」が言えないのかもしれない。
こうした想像のポイントは、相手の感情面にフォーカスして理解しようとすることです。
もちろん、そうした想像のどれが合っているのかは、分かりません。
もしかしたら、ぜんぶ違っているのかもしれません。
それでも、「もし、そうだとしたら」という仮定は、私たちと相手との間に、架け橋をかけてくれるものです。
「もしそうだったら、そうしちゃうのも仕方ないよな」
そう思えたとき、その相手に対して抱く感情は、ずいぶんと変わってくるものです。
それが、相手との関係性を変えていくこともできます。
相手の感情にフォーカスして、それを想像すること。
それは、私たちの相手との間に架け橋をかけてくれるものです。
今日は、感情的理解が、相手との間に架け橋をかけてくれる、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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