大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「すべての防衛のかげには、古い痛みが隠れている」

痛みから自分を守ろうとする行為のかげには、過去の古い痛みが隠れています。

それを知っていると、必要以上に守ろうとしなくてもよくなったり、周りの人のそうした行為にも対処できるようになります。

年始から読み返している名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.すべての防衛のかげには、古い痛みが隠れている

痛みを避けるために自分を守っていても、それを感じずにすむわけではありません。
それどころか、すべてのよろこびが妨げられてしまいます。
私たちが防衛的になってしまうところには、痛みと欲求があります。
防衛のかげに隠れているあなたの痛みを、進んで感じるときがやってきました。
勇気をもってこの痛みを感じることができたとき、それは幻想だったことがわかります。

だれかが自分を守ろうとしているときは、その人が本当は何を必要としているのかを自分のなかでたずねてみてください。
それにこたえてあげようとすれば、相手はすすんで防衛を手放し、あなたに近づいてくるようになります。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.17

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なにか、心が「きゅっ」と閉じてしまったと感じるとき…ありますよね。

いろんな場面でそう感じることはありますが、私の場合は誰かから好意を向けられたり、助けられたり、距離を縮めてこられたり、そうしたときに感じることがあります。

そんなことないです、私に構わなくていいです、一人にしてほしい…などなど、めんどくさいことこの上無いのですが、そう感じてしまうのですね。

スペザーノ博士の言葉を借りるならば、それは「古い痛みと欲求」が引き起こすのだそうです。

…はい、その通りですね。

親しい人、大切な人との離別や喪失といった経験が引き起こす痛みと、この凍えるような孤独を何とかしてほしい、という欲求…書いていてお恥ずかしい限りですが、まさに本書の言葉の通りです。

2.痛みとは幻想であり、癒すことができる

しかし、本書ではそうしたことが引き起こす痛みは、「幻想」だと言います。

にわかには、納得しがたいですよね。だって、こんなにも痛いし、辛いのに、「幻想」だとは思えない。

けれど、隠そうとすると肥大化し、感じようとすると抜けていくのが、私たちの感情です。

本書のワークの部分でも、それが語られています。

あなた自身のなかで「闘うか、逃げるか」という、よくある守りのパターンを使っているところはどこですか。その部分を見つけてください。そして、その奥深くにどんな感情が隠れているのかを探して見ましょう。

さあ、今度は勇気をもってその感情を感じてみてください。すべて感じきるまで、古い痛みのなかを通りぬけていきます。どんな感情でも、あなたの手に負えないほど大きなものはありません。

 

同上

痛みを感じるということは、それを感じ切って癒するこもできる、というサインでもあるようです。

そして、自分の痛みに自覚的になるほどに、不思議なことに周りの人の痛みや防衛に気付くことができるようになります。

そっけない態度や、逃げるような態度を取る人に、「なんだ、あの態度は」と怒る他に、「あぁ、そんなに防衛するほどに、傷ついているんだな」といった見方ができるようになります。

それは、自分の心と向き合うことがもたらしてくれる、大きな大きな恩恵です。

3.慢性的な問題とは、気長に付き合うこと

以前に私は、カウンセリングの師匠である根本裕幸師匠のグループセッションの中で、「ずっと神さまに中指を立てて生きてきた」と評して頂きました。いわば、神さまにケンカを売ってきたんですね。

自分が経験してきた辛いこと、苦しいこと、理不尽なこと…そうしたことへの恨みつらみを、誰かや社会に向けるのではなく、ずーっと神さまに中指立てて生きてきた、と。

だから、自立を捨てられないし、負けを認められないし、誰にも頼れないし、助けを求めることもできない。

セッションの中で、「私の負けです」と負けを認めるセッションがありましたが、私は最後までそれを言うことができませんでした笑

いや、負けを認める以前に、「自分はそんなケンカなんて売ってないですから!」と言い張ってました。いやはや、強情ですねぇ…

2年くらい前のことでしょうか。

いまは、どうなんでしょうね。いろんなありがたい出会いや、自分と向き合ってきたことや、エッセイ賞の落選や、自力の限界もあり、だいぶ丸くなったような気もしますが…

ただ、カウンセリングをご提供できるようになったということは、一つの大きな歩みであり、変化であるようには思います。

まあ、こういう慢性的な問題というのは、持病と同じように、気長に付き合っていくのがいいのでしょう。

4.問題があったからこそ、得られたものに目を向ける

そして、陰陽はひとつなぎであるように、持病があったからこその恩恵も、またあります。

喘息を持っていた友人は、「息ができること」に大きな喜びを感じると語っていました。どんなときでも、静かに呼吸をすると、幸せを感じることができる、と。

生まれつき足が不自由だった友人は、だからこそ人体の構造や身体の動き方に興味を持ち、自分の身体と対話することをライフワークのようにしていました。

もちろん、その痛みや防衛があることで、生きづらさや重苦しさを感じてしまうのであれば、少しそれを緩める処置をした方がいいのでしょう。

持病の腰痛がひどくなったと感じたら、整体やマッサージ、鍼灸に足を運んだり、少し休んでみたり。

けれども、そうした問題、あるいは持病があったからこその恩恵もまた、忘れないようにしたいと思うのです。

それは、痛みの中にいるときにはなかなか気づけないのですが、その人をその人たらしめている、唯一無二の才能と裏返しにあるものだからです。

私のカウンセリングでも、そうした見方を大切にしていきたいと思っています。

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