大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

生きていてくれさえすれば、という愛のかたち。

生きてくれさえすれば、それでいい。

そこにいてくれさえすれば、もうそれ以上は何もない。

そんな愛のかたちの言葉を、時に聞くことがあります。

ある意味で、最も尊い愛のかたちように感じられます。

無償の愛を与えている、とも言えますし、ある意味でこれ以上なく受け取っているようにも見えるからです。

 

生きていてくれさえすれば。

その愛のかたちは、条件を求めません。

何がしかの条件が無いと愛されてはいけない。

いつからか私たちは、そんな思い込みをもってしまいます。

何かができなければ。

何かを持っていなければ。

何かを達成できなければ。

誰かに貢献しなければ。

愛されては、いけない。

そこにいては、いけない。

誰の胸の底にも、そんな想いがひっそりと眠っていたりします。

 

あなたは、そんなことをしなくても、愛される価値がある。

それは真実なのだけれども、ときにそれを伝えるのはとても難しかったりします。

時に、世界はあまりにもあからさまに、その真実を見せてくれます。

けれども、それはあまりにも単純であるがゆえに、それが真実だと気づくのは、難しかったりします。

そんなはずはない、もっと神殿の奥深く、誰も立ち入れない神域にこそ、真実は眠っているのだ、と。

そんなはずはない、この岩盤を割ったもっと底、奈落のようなところまで掘り進めないと、真実は見つからないはずだ、と。

当たり前であるほどに、人はそれを理解するのは難しかったりします。

あなたは、あなたでいるだけでいい。

そう言われたところ、「はい、そうですか」と納得することはできなかったりします。

ほんとのところ、そうなのにね。

 

わたしに価値があろうとも、なかろうとも。

陽は沈み、月は微笑み、季節は歩みを止めないものです。

わたしが、わたしの価値をどう見ようとも。

誰も気にしていないし、それを気に留める人もいないかもしれない。

わたしが、わたしをどう扱おうとも。

水は滔々と流れ、やがて母なる海へと還っていく。

けれど。

「生きていてくれさえすればいい」

この世界に、一人でもその想いを伝えてくれる人がいたとしたら。

それは、やはり奇跡なんじゃないかと想うのです。

 

「生きていてくれさえすればいい」

そんな情感を、人は一生のあいだに何度抱くのでしょうか。

連絡の取りようもない、別れた恋人に。

遠く離れて暮らす、我が子に。

あるいは。

あるいは、不思議なことに。

死に別れた誰か、あるいはペットに対しても、そう感じることがあるかもしれません。

もう会えないから、その愛のかたちは成立しないかというと。

決してそうでもなくて。

「出会ってくれて、ありがとう」

というかたちになるのかもしれません。

そこには、もう何の条件もなく。

それを伝えようとするとき、その想いは永遠の海に浮かぶ舟になるのです。

 

「生きていてくれさえすればいい」

もし、そう伝えてくれる人が、たった一人でも、この世の中に存在するのだとしたら。

それはやはり、奇跡なんじゃないかと思うのです。

そして、それを伝えられる人の美しさや愛を、もっと伝えられる私でいたい。

そう、思うのです。