自分の感じていることを表現することは、決してワガママなことではありません。
それは自分を尊重するために必要なことであり、そのために安全な方法を選ぶことが大切になります。
1.自分を尊重するということ
先日の記事では、自分を尊重するとは、というテーマでお伝えしました。
自分自身を尊重するとは、「感じる」ことと「表現する」こと。 - 大嵜直人のブログ
「手放し」というテーマからの流れでした。
執着を手放そうとするとき、その相手との対等性が重要になります。
わたしとあなた。
お互いに対等な関係性であってこそ、お互いに自由を与えることができます。
そして、その対等性を築くためには、相手との関係性をどうこうしようとするよりも、自分自身を尊重することに尽きます。
関係性をコントロールしようとすると、ドロ沼にはまってしまうんですよね笑
それよりも、自分を自分が尊重することができれば、その視線を相手に投影していくことができます。
等身大の自分を、自分が尊重してあげるというイメージです。
では、自分を尊重するとは、具体的にどんなことをすればいいのでしょうか。
先日の記事では、その具体例として、「感じる」ことと「表現する」ことをお伝えしました。
自分が感じている感情や気持ちに、自覚的になること。
そして、その感じていることを、表現すること。
それが、自分を尊重することの最もベースになる部分だというのが、先日のテーマでした。
2.表現しないと、感じられない
今日は、この「感じること」と「表現すること」について、もう少し考えてみたいと思います。
「感じること」と「表現すること」は、別々のことではないんですよね。
2つセットで、一つのようなものです。ニコイチ、とでもいいましょうか。
枝豆とビール、みたいな笑
表現することなしに、感じることは難しいんですよね。
よく、良質なインプットは、アウトプットがあってこそ、みたいな話がありますよね。
何かを学んだりするとき、その学んだことを外に出すことで、その学んだ効果は何倍にもなります。
ノートに書き写す、というのもそうでしょう。
あるいは、学んだことを誰かに教える、というのも、実に効果的な学びになるものです。
仕事なんかでも、引継ぎしたり、後輩に教えたりするときに、その仕事の理解が最も深まったりもします。
引継ぎや、新人教育あるあるですよね笑
それと同じではないのですが、「表現すること」を意識することが、「感じること」にも好影響を与え、ひいては自分を尊重することができるのです。
だから、自分を尊重することを考えるとき、「自分の感情や気持ちを表現できているだろうか?」というのは、重要なチェックポイントになります。
表現できていなければ、感じることも難しくなっているでしょうから。
3.表現することは、ワガママではない
しかし、自分のことを表現しようとするとき、どこか悪いことをしているような、そんな抵抗が出ることがあります。
自分の感情を外に出すのは、未熟な子どものすることではないのか。
自分のことばかり言うのは、ワガママじゃないのか。
そんな懸念を抱く人も、多いのかもしれません。
しかし、そうではないんですよね。
未熟だったり、ワガママだったりするのは、自分の感情をそのままに誰かにぶつけてしまうことです。
「わたしのこの感情を、あなたどうにかしてよ」
といった感じですよね。
「表現すること」とは、そうしたこととは異なります。
自分が感じていることを、安全な場所で、安全な形で、外に出してあげることです。
それは、人によっていろんな形があるのでしょう。
たとえば、一人で「悲しいな」とつぶやくだけでも、それは「表現すること」になりえます。
それによって、「あ、わたしはやっぱり悲しいんだな」と、悲しみを自覚することができますから。
あるいは、信頼できる人に聞いてもらう、カウンセリングを受けることもそうでしょうし、ノートに自分の感情を書いてみることも、「表現すること」になります。
それは、決してワガママではないんですよね。
自分の感じていること、丁寧に扱ってあげる行為です。
だから、自分らしい表現方法というのも、知っておく必要はあります。
そうしたプロセスを含めて、「感じること」と「表現すること」を大切にしていけると、自分を尊重することができるようになるのでしょう。
今日は、自分の感じていることを表現することは、ワガママではない、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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