大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

寒露の終わり、聞くことで秋の深まりを感じながら。

ようやくというか、日中も秋らしい気持ちのいい気温になってきました。

朝晩はもう半袖では肌寒いので、長袖でお散歩するようになりました。

時候は「寒露」の終わりあたりです。

七十二侯では「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」。

キリギリスが戸口でその鳴き声を聞かせてくれる頃とされますが、ここでいうキリギリスとはコオロギの一種だそうで、鈴のような音色を聞かせてくれる虫を指すようです。

そういえば、朝、歩いていても、いろんな虫の音が聞こえるようになりました。

気温が下がってきたから、聞こえるようになってきたのでしょうか。

この涼やかな秋の空気と相まって、実に心地がいいものです。

 

誰しも、五感のなかで発達しているというか、鋭敏な感覚のものと、鈍い感覚のものがあると思うのです。

個人的な話で恐縮ですが、私のなかでは「嗅覚」が鈍くて、「聴覚」が鋭敏というか、神経質なような気がします。

クサいニオイとか、耐えられない人って、いるじゃないですか。

それは、私は割と平気で、「まぁ、時間が経てば慣れるだろう」みたいな感覚があるんです。

だから、駅のトイレとかを使うのに、あまり抵抗がなかったりします。

(最近は、どこもずいぶんとキレイになりましたが)

その反面、料理の香りとか、結構鈍くて、鋭敏な人に比べて楽しめてないんだろうなーと思います。

けれど、音に関するところは、我慢ができなかったりします。

つけたままのテレビの音とか、車の通る音とか、聞こえてくる話し声とか、結構気になったりするんです。

このあたりの許容範囲の違いが、五感の中でも違うのが、面白いところですよね。

そういった意味では、季節の移り変わりも、聴覚で一番感じるのかもしれません。

聞こえる音の移り変わりなどですよね。

 

これをお読みのあなたは、五感のなかでどれが鋭敏でしょうか。

味わうことでしょうか。

香りを楽しむことでしょうか。

音を聞くことでしょうか。

肌で感じることでしょうか。

風景を見ることでしょうか。

その感覚で、秋の深まりを感じることができると、いいですよね。

秋も深まってきました。

朝晩と日中の気温差も大きくなってきました。

風邪などひかないように、どうぞご自愛くださいませ。