たとえば肩が痛かったり、熱が出たり、身体に不調があると、私たちはその原因を探して解消しようとします。
しかし、心の問題では、その原因を探すことと、問題を解消することは別のことだったりします。
問題は、その人の価値や才能、魅力の源泉を示すものだからです。
1.自分を責めてしまったときの考え方
昨日の記事では、わざわざ自分を責めるのを選ぶメリットとは、というテーマでお伝えしました。
その選択で得られるメリットは、いまの自分を満たすのか? - 大嵜直人のブログ
どんなにダメってわかってても、それをしてしまうときがあります。
ダメってわかってても、夜中にポテチの袋を開けてしまったり。
これ以上傷口を広げたらいけないと思いつつも、最終レースに突っ込んでしまったり。
あるいは、いけないと思っていても、自分自身を責めてしまったり。
たしかに、それをしてしまうのは、よくないことだったり、いけないことかもしれません。
けれども、「よし、しないようにしよう」と思っても、人間ってそんなに単純なものじゃないですよね。
というか、それでみんな変われるなら、苦労しないのでしょう。
分かってても、メインレースで負けた分を取り返そうと、最終レースで無理筋に賭けてしまうのは、しょうがないですよね笑
それはともかくとして、そうしたことを強く禁止するよりも、「それで得られるメリット」の方に、目を向けてみる視点が、昨日のテーマでした。
深夜にポテチを食べるのも、背徳感を味わえるのがたまらないのかもしれません。
自分を責めることにも、それで得られているものが、たしかにあるんですよね。
でも、それが「いまの」自分にとって必要なものかどうかは、よくよく考えてみることは、とても大切なことです。
昨日の記事では、そんなテーマでお伝えしました。
2.しんどいと、その原因を探したくなる
今日も、昨日のテーマの変奏曲というか、原因と問題解決は別のところにあるかもしれない、というテーマでお伝えしてみたいと思います。
何かしんどいことがあると、私たちはその原因を探したくなります。
身体的なものだと、特に分かりやすいかもしれません。
肩がめっちゃ痛くて、右腕が上がらなくなったら、「うわ、なにこれ?なんで?」と思いますよね。
急に高熱が出て、腰や関節が焼けるように痛くなったら、「あ、あかん、インフルってやつかも」と思いますよね。
で、肩が痛くて整形外科に行ったら、運動不足で肩のまわりの筋肉が固まってしまってます、と診断されたりするわけです。
内科に罹って、鼻の奥をぐりぐりされて、「インフルB型ですね」と診断されたりするわけです。
そうすると、そこで応急処置的な対処法と、恒久対策みたいなのが分かるわけです。
肩の問題だったら、ブロック注射をしたり、電気を当てたりして筋肉をほぐすのが対症療法で、根本的な対策は運動不足の解消だったりします。
インフルだったら、薬を飲んで休養するしかなくて、そもそも罹らないようにするには、バランスの取れた食事と十分な睡眠と適度な運動で免疫を上げて、あとは感染症対策をするのが必要なのでしょう。
それらは、なんとなくイメージしやすいですよね。
こうしたイメージを、心の問題にも当てはめたくなりますが、そうじゃないのかもしれない、というのが今日の本題です。
どうもパートナーとうまくいかない。
距離が縮まってくると、徐々に嫌悪感が出てきて、自分から距離を置いてしまう。
で、カウンセリングとかで、自分の心の内面と向き合っていくと、母親との関係性が原因かもしれないと、分かったりします。
(もちろん、この分かったというのも、そのときの自分にとってフィットする解釈であって、もっと別の見方もあるかもしれません)
そうすると、身体の問題と同じように、「原因を解消したら、問題も解決する」と考えてしまうことが多いかと思います。
それも、ある意味では、正しいです。
それを解消して問題が解決することは、現実としてあることです。
けれど、これを「原因を解消したら、必ず問題も解決するか?」といわれると、解決することもあれば、解決しないこともある、というのがほんとうのところだと思います。
それが、「ある意味では」の意味です。
3.その原因は、なくすべきものじゃない
よくあるのが、「パートナーとの距離感が、母親との関係性に由来する」とわかると、「母親との関係性を癒さないと、パートナーと幸せになれない」という思考に陥ることです。
これは、そうじゃないんですよね。
母親との関係性を癒すのは、幸せになるための、より善く生きるための「一つの」方法であって、それは「唯一の」方法ではないと私は思うのです。
その方法は、その人それぞれの方法があって、いいんだと思います。
何か趣味なりライフワークに打ち込むことで、より善く生きることを実践できたり。
その方法や順番は、あなただけのストーリーであって、いいんだと思うのです。
「あれ、じゃあ、身体の問題と違って、心の問題は、その問題の原因を知ることに意味がないの?」と思われるかもしれません。
これ、すごく意味があることなんですよね。
その原因を知ることは、そこから見える価値や才能、魅力に目を向けることができるからです。
たとえば、先ほどの例でいえば、その母親との関係性のなかで得られたものが、価値や才能や魅力になるわけです。
これ、冒頭に書いた「それで得られたメリット」に目を向けてみる、という視点と似ているかと思います。
私のカウンセリングでも、そこにフォーカスすることを大切にしたいと思っています。
その才能や魅力を意識できるようになると、結果的に問題が解決することが早くなったりもするものだったりするのです。
今日は、原因を探すことと、問題を解決することは別のもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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