「許し」のプロセスでは、「感情的理解」がとても大切なポイントです。
自分を許すときにおいても、それまでの自分に対してこの「感情的理解」を寄せることができると、「許し」が進みやすいのです。
1.「自分を許す」とは
昨日の記事では、自分を許すとは、というテーマでお伝えしました。
自分を許すとは、自分がいままで歩いてきた道を肯定すること。 - 大嵜直人のブログ
「許し」という大きなテーマからのつながりでした。
カウンセリングでも、中心的なテーマになることの多いのが「許し」です。
テーマになることが多いというか、どんな話題であっても、最後は「許し」に行き着く、と表現した方が近いかと思います。
ここでいう「許し」とは、誰かに対して許可を出すという意味ではありません。
遅刻してきた相手を許すとか、ミスをした取引先の謝罪を受け入れるといった意味合いとは、少し違います。
心理学的な意味での「許し」とは、
「その相手やできごとを、自分自身が100%主体的に受け入れる」
といった意味になります。
100%主体的に、というのがポイントで、自分が被害者の立場に立ったり、それによって相手の責任を問うたりすることを手放すのが、「許し」です。
そうすることによって、相手を責める罪悪感から自分自身を解放することができるのが、「許し」の大きな恩恵です。
こうした「許し」のなかで、一番許すのが難しいのが自分自身だったりします。
昨日の記事では、その「自分自身を許す」というイメージを少しお伝えしました。
それは、自分自身の歩いてきたこれまでの道を、肯定してあげること。
いまの自分の基準で、過去の自分の行動や判断を、責めないこと。
それが、自分を許すことのイメージでした。
2.「許し」のキモである「感情的理解」
今日は、この自分を許すイメージを、もう少し掘り下げてみたいと思います。
「許し」のプロセスのなかで、最も重要になるのが「感情的理解」です。
これは、相手の言動を、そのままに受けとるのではなく、相手の置かれている状況や立場、心情を理解しようとする心のはたらきです。
あの人があんなにやさぐれた態度を取るのは、何かあったんんだろうか。
彼が連絡を寄越さないのは、どんな心境からなんだろうか。
はじまりは、そんな視点からなのでしょう。
もちろん、私たちは他人の内面を100%理解することはできません。
けれども、「もしかしたら、こういう感情を抱いていたのかもしれないな」と想像することは、できるはずです。
たとえば、こちらが親切に差し出した手を、はねのけるような相手の行動があったとして。
相手の行動だけを見ると、それはいかがなものか?と思うのが当たり前です。
けれども、その相手は、過去に助けを頼ったのに裏切られた経験があって、その差し出された手を自分の傷つけるものに見えてしまったのかもしれません。
もちろん、その見方が正しいかどうかは、わかりません。
ただ、「そうかもしれない」と、相手の心情を想像し、理解しようとすること。
この心のはたらき、すなわち「感情的理解」が、「許し」を進めてくれるものです。
この「感情的理解」が進むと、「もし、同じ状況や同じ立場に置かれたら、私も同じことをしていたかもしれない」という心境になったりします。
こうなると、「許し」がだいぶ進んだ証拠であり、相手を責めたり、被害者の立場を手放しやすくなっていきます。
3.「そうするほか、なかったんじゃない?」
冒頭に、自分を許すことは、これまでの自分の歩いてきた道を肯定すること、とお書きしました。
もちろん、いまの自分から見れば、
「なんであんなことをしたんだろう」とか、
「あのとき、こうしておけばよかったのかも」とか、
そういった想いは尽きないかもしれません。
でも、それはいまの自分だからそう思えるのであって、そのときの自分は、そうするほかなかったのでは?という理解を示すのが、「許し」への近道です。
「だって、そうするほか、なかったんじゃない?」
そのときの自分の置かれていた状況、立場、あるいは抱えていた感情…そうしたものを考えると、そうする他はなかったんじゃないか、ととらえるのが、自分への「許し」になります。
それは、あきらめやごまかしとは、異なるものです。
過去を過去として受け入れ、そのときの自分をこれ以上責めないこと。
そうすることで、その過去の持つ意味が変わっていくのです。
それは「許し」の大きな恩恵です。
今日は、「許し」のプロセスにおける「感情的理解」の重要性、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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