大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

大切な人を失ったあなたの心が、立ち直っていく4つのプロセス。

大切な人やものを失ったとき、心が立ち直っていく4つのプロセスについて、お伝えします。

その詳細も大切ですが、何よりお伝えしたいのは、どれだけ時間がかかろうとも、心は必ず癒していくことができる、ということです。

大切な人を失う、ということ

ここのところ、カウンセリングでそういったテーマが続きました。

大切な人を失うこと、喪失。

そうした経験から、どのように心が立ち直っていく、癒されていくのか、そのプロセスをお伝えしてみたいと思います。

というか、カウンセリングの中で話題になったんですが、そういえば、ちゃんと書いたことがなかったことに気づきました笑

この記事では、大切な人との死別を想定して書いていますが、突然の別れ、あるいは大切なものを失ったときなども、参考にしていただければと思います。

また、お伝えするプロセスは、私自身の経験を踏まえてお伝えしていくものですが、事前にお伝えしておきたい点が3つあります。

いずれも、自分を責めるのではなく、自分に寄り添いながら、心を癒していくために必要なことです。

プロセスに早い、遅いはない

一つ目は、どのプロセスに早いも遅いもない、という点です。

また、「このプロセスは1か月くらい」といった、目安もありません。

喪失から立ち直るのには、長い時間を要することもあります。

大切な人であればあるほど、その人への愛が深ければ深いほど、長い時間がかかるものです。

その長さにうんざりしたり、時には他の人と比べて落ち込んだりしてしまうことも、あるかもしれません。

けれど、あなたには、あなたの癒しのプロセスがあります。

そこに、早いも遅いもありません。

もし、あなたがこのプロセスのなかにいるのであれば。

どうか、焦らないでください。

どうか、プロセスが進まないことで、自分を責めないでください。

プロセスのなかには、辛くしんどく、「もう、早く抜け出したい」と感じることもあることでしょう。

ただ、そこで焦ると、空回りして、ますますしんどくなることもあります。

どうか、焦らないでください。

あなたご自身のペースで、プロセスは進むものです。

無駄なプロセスは、ない

喪失から立ち直るのに、無駄なプロセスはありません。

先ほど、「焦ると空回りする」とお書きしましたが、たとえ空回りしたとしても、それはそれで意味のあることです。

まあ、しんどいのはしんどいですけれども笑

最後の章でもお伝えしますが、

「あぁ、ここまでの歩みはすべて、このためにあったんだ」

と思える瞬間がやってきます。

それは、有名なスティーブ・ジョブズの「点と点をつなぐ」という話に、似ているのかもしれませんね。

プロセスのなかには、「3歩進んで4歩下がる」みたいに、一見すると悪化しているように見える場面も、時にはあります。

けれども、あなたが歩むプロセスのなかに、無駄なものは何もありません。

心は強く、必ず立ち直る

最後は、ものすごく単純な真実です。

人の心って、強いんですよね。

どれだけ打ちひしがれても、絶望の淵に追いやられても、悲しみの海に沈もうとも。

必ず、立ち直ることができます。

わたしの心も、そして、あなたの心も。

心が持っている強さ、尊さ、大きさ、そして、美しさ。

どうか、それを信じてみてほしいな、と思うのです。

1.シャットダウンとパニック

「お葬式で泣けない私は、冷たい人間なんだろうか」

大切な人を失うなどのショックなできごとが、突然に起こると、人の心は感情を感じることができなくなることがあります。

あまりに大きな悲しみに、心が壊れてしまわないように、心が強制的にシャットダウンするんですよね。

心が麻痺したような感覚になります。

電気のブレーカーが落ちることと、似ているのかもしれません。

親しい家族が亡くしたのに、葬儀で泣けなかったという経験をされた方も、いらっしゃることかと思います。

「周りの人があんなに悲しんでいるのに、全く泣けない私は、なんて冷たい人間だろう」

そう、自分を責めてしまうことすら、あるかもしれません。

私自身も、そうでした。

母の葬儀のときは、その最中も終わってからも、全く泣けなくて、自分はドライな人間なんだな、と思ったものでした。

けれども、これは、全く逆なんですよね。

抱えている悲しみが大きすぎるから、泣けないんです。

それを感じてしまったら、自分の心が壊れてしまうかもしれないから。

だから、感情を感じないように、シャットダウンするんです。

ただ、ある一つの感情だけを切り離すことはできません。

悲しいという感情だけではなく、すべての感情が切れてしまいます。

そのため、自分が何を感じているか分からず、まるでロボットのように感じることすらあります。

よく、「親しい人が亡くなってからの1週間ほどは、記憶が無い」という話を聞いたりしますが、これも感情が切れているからなんですよね。

記憶は、感情と密接に結びついています。

そのため、感情を切って、機械的に何かをこなしている状態のことは、私たちの記憶には残らないものです。

「これは現実じゃない」

こうしたシャットダウンの状態から少しすると、現実を否定したくなります。

「きっと、これは現実じゃないんだ」

そんな風に、感じることも多いものです。

「現実が受け入れられない」=「現実が間違っている」

という図式です。

私自身も、「明日、朝起きたら、元通りの世界になっていないかな」と願ったことが、何度あったことでしょう。

これ、考えてみれば、仕方のない話ですよね。

ショックを受けている自分ができる、最大限の防衛と言っても、いいかもしれません。

日常生活にしたって、自分の思い通りにならないことがあれば、その現実を受け止めるのに、エネルギーを使ったりします。

それが、自分が到底信じられないできごとが起こったとしたら…

それを受け入れらなくても、当たり前ですよね。

パニック、混乱

ただ、時間とともに、起きている現実を受け入れなくてはいけない、と自覚し始めます。

そこで、ようやく心は現実を現実として見ることができるのですが、そこで起こるのは「混乱」です。

心が、起きていることと、自分の感情を整理できないんですよね。

どうしようもない不安に襲われたり、「しっかりしなくちゃ」といった焦りを感じることも、多いものです。

大切な人を失うと、現実面でこれまでと何らかの変化を強いられます。

それは習慣だったり、心の置きどころだったり、

その変化が受け入れられない時期でもあります。

また、身体的な疲れが出てくるのも、この時期です。

ショックなできごとが起きてすぐは、心が麻痺しているので動けるんですよね。

でも、疲れが無いわけではありません。

そこで溜まった疲れが、どっと出てくる時期でもあります。

癒し:時間、話をすること

このプロセスでの癒しは、まず時間です。

人の心が、あまりにもショックな現実を受け入れるためには、それなりの時間が必要です。

この時間には、休養も含みます。

それは、どれだけかかっても、遅いということはありません。

だから、ショックなできごとに遭った人が周りにいたときは、そこで何かしてあげるというよりも、時間をかけて見守ってあげる、ということが必要になります。

そして、もしできるのであれば、話をすること。

そのショックなこと、自分が感じたことを、誰かに聞いてもらうこと。

ただ、話をするのもストレスだと感じることもあります。

そういったときは、無理せずに、手負いの獣が巣穴でじっとしているように、休養をすることも必要です。

私自身も、寝るでもなく、ずっと一日中、ベットで横になっていた時期がありました。

そこで、動けない自分を責めないことが、大切なことと言えます。

2.怒りと罪悪感

感情のジェットコースター

心が現実を受け入れていくと、次第に抑圧していた感情が噴き出てきます。

最もわかりやすいのは、「怒り」でしょうか。

「なんで、こんなことになったんだ」

「なぜ、自分だけこんな目に」

といった具合に、「怒り」を感じるようになります。

その「怒り」の対象は、できごとの原因となった人やもの、社会、神さま、そして自分自身へと向いていきます。

「わたしはこんなひどい目に遭った、それはあなたのせいだ」

といったように、被害者のポジションに入り、誰かを責めたくなることもあります。

しかし、誰かを責めるとき、その刃は自分自身にも向きます。

そうです、「罪悪感」を抱えるようになるんですよね。

「自分はひどいことをした」

「なぜ、あのときこうしなかったんだろう」

といった自分を責める方に向いてしまうことも多いものです。

それもしんどいから、誰かをまた責めたくなる…

「怒り」からはじまる、この感情のジェットコースターに振り回される時期といえます。

感情を感じるのは、実に体力が要りますし、疲れるものです。

ですが、それを抑圧する方が、とても危険です。

なので、「怒り」をはじめとして、そうした感情が湧き出てきたときは、安全な場所で感じつくす方がいいものです。

そして、「怒り」を感じたのでしたら、「プロセスが進んでいる」と、自分に言い聞かせてくださいね。

「まだ、こんな状態なのか…」という自分責め

感情は、ミルフィーユのように何層にもなっていると言われます。

怒りの蓋をはずすと、その下には膨大な悲しみが。

その悲しみの下には、寂しさが。

その下には、無力感と無価値観が…といった具合に。

ですから、「一度感じたら終わり」ではなく、感情の波は何度でもやってくるものです。

「また、この感情か…」とか、「もう、うんざりだ」と思うことも、あるかもしれません。

あるいは、「まだ、こんな状態なのか」と自分を責めたくもなるかもしれません。

その、いずれも必要ないんです。

感情が出てくるままに感じ、そして流していく。

それで、いいんです。

というか、それしかできません。

ただ、現実的に、日常生活のなかでは、そんなに感情に浸ってもいられないものです。

ですから、この時期におすすめなのは、定期的に信頼できる友人などに会って話を聞いてもらう予定だったり、カウンセリングの予約を入れておくことです。

その予定は、お守りのように私たちの心を支えてくれるものです。

「この日には、話せる」という安心感、とでもいいましょうか。

癒し:受容と傾聴、自分を愛すること

このプロセスで必要な癒しは、受容と傾聴です。

どんな感情も思いも、否定せずに聞いてもらえる環境です。

逆に、感情が出てきているのに、

「そうはいっても、もうそろそろ前を向こうよ」とか、

「誰かを悪者にしても、なにもいいことないよ」とか、

頭ごなしに正論をぶつけるのは、最もしてはいけないことです。

まあ、そんなことを言ってくる人がいたら、全力で離れればいいのですが、問題なのは自分自身です。

頭で考えたような、そうした言葉を、自分自身に投げかけないようにしたいものです。

自分を愛すること、それがこのプロセスで大切なことともいえます。

3.抑うつとファンタジー

最もケアが必要な時期

こうした感情のジェットコースターを経ると、ひどく無気力で、何もやる気がしない時期が訪れます。

感情を感じることへの疲れ、というものありますが、それ以上に、現実への絶望感というか、無意味感というか、そういったものに苛まれたりします。

時には、抑うつ的な症状が出ることすらあります。

実は、この時期が最もケアが必要な時期であり、それだけ繊細なプロセスでもあります。

冒頭に、プロセスの期間に目安はない、とお書きしましたが、この「抑うつとファンタジー」のプロセスは、数か月から数年後に訪れることもあります。

他の人からすると、「ずいぶんと時間も経ったし、もう大丈夫だろう」という感覚になりやすかったりもします。

それは、当の本人にとっても、同じです。

「これだけ時間が経ったのに、何も変わってない」という絶望を抱きやすくなります。

または、「まだ引きずっているなんて、恥ずかしくて誰にも言えない」といった想いを抱いたりもします。

あるいは、「自分だけが取り残されているような気がする」という孤独感や孤立感を覚えることもあります。

最もケアが必要だと書いたのは、そういった意味からです。

時間が過ぎたことによって、それが「もう治ってないとおかしい」という目線で見られることが、危険なんですよね。

「風化」という言葉がありますが、月日が過ぎれば、そのできごとを忘れる人も増えてきます。

しかし、どれだけ時間が経ったとしても、そのできごとを経験した本人にとっては、生々しい現在進行形です。

この状態で危険なのは、「この先、何やってもしょうがない」といった、未来に希望が持てないことです。

絶望と、空想を行ったり来たり

未来に希望が持てないゆえに、時には空想、ファンタジーの世界に生きるようにもなります。

「あの人は、まだどこかで生きているんじゃないか」とか、

「玄関から、ひょっこり帰ってくるような気がする」とか。

あるいは、亡き人の声が聞こえたりすることすら、あるかもしれません。

というか、私自身はそうでした。

真夏のうだるような中で、道を歩いていると、蝉の鳴き声のなかに、亡き母の声を聞いたり。

「あぁ、ここにいたんだな」と落涙したりもしました。

けれど、そうしたファンタジーは、すぐにこの冷たい現実に晒されて、余計に辛くなるんですよね。

「やっぱり、いないんだな」と。

振り返ってみると、相当に危ない状態だったかもしれません。

この時期に必要なのは、つながりと言えるでしょうか。

もちろんそれは、この時期に限らず、どのプロセスでも必要なものではあります。

癒し:見守る愛

このプロセスで大切な癒しは、側にいて見守るような愛、でしょうか。

その人の心が絶望の淵にいようとも、空想の世界に行こうとも。

側にいて、見守ってくれる愛。

身近な人などのつながりのなかで、それを感じられるといいのですが、一番効果的なのは、やはり自分自身でしょうか。

自分が、自分の側にいる。

わたしのことは、わたしが決して見捨てない。

そうした視線を持つことができると、この時期にはとても大きな支えになります。

この時期は、前を向こうと思っても、その次の瞬間には、「でも、どうしようもない」といったように、後ろ向きになってしまったりもします。

それで、いいんです。

それを、「大丈夫だよ」「わたしがついているよ」と、一緒に伴走してくれるような、そんなサポートが、この時期にはとても大切なのでしょう。

4.再誕生と統合

新しい自分との出逢い

ここに至るまで、ずいぶんと長いプロセスを歩んできたかもしれません。

そのなかで、絶望に打ちひしがれ、何度も「もういやだ」と思ったかもしれません。

それでも。

それでも、心は何度でも、よみがえるんですよね。

そしてそれは、以前の自分に戻る、というわけではありません。

再誕生、再生、統合。

そうした言葉に象徴されるように、古い自分から新しい自分に生まれ変わる時期になります。

それは、大切な人の不在を、真に私たちの心が受け入れたがゆえ、ともいえるのでしょう。

その人の不在を受け入れるとは、その人の存在をなかったことにするわけでは、ありません。

その逆です。

その人と、これからもともに生きる。

それが、喪失の統合ともいえるのでしょう。

世界に初めて色がついたように、新鮮に感じられる。

そんな風に感じることも、あるかと思います。

このプロセスの象徴が、「笑い」と「希望」です。

あんなにもしんどかったのに、いつしか笑っている自分に気づいたり。

笑っている時間が増えていることに、気づいたり。

あるいは、「これをやってみたいな」と思うようになったり、自分の楽しみでスケジュールを埋めるようになったり。

そうした「希望」を持つことが、できるようになります。

これまでの道のりを祝福する

ここまでくると、これまでの道のりは、すべてこのためにあったんだ、という納得感が心の中に芽生えます。

これまで、自分が歩いてきた道のりを、祝福したくなるような。

そんなことを感じたりもします。

人生最大の悲劇は、人生最高の喜劇に変えられる。

そんな心理学の金言は、まさにこのようなプロセスを指しているのでしょう。

そこでは、起こったできごとは、もはや悲劇ではありません。

そこから、あなたが真に生きる道、お役目、天命がはじまった。

そんなふうに感じることも、あることでしょう。

もしあなたがいま、悲しみに打ちひしがれ、冷たい現実に絶望していたとしても。

その先には、ミラクルとしか言いようがないような、こんなプロセスが待っているのです。

それを、私はお伝えしていきたいと思っていますし、そのお手伝いがさせていただきたいと思います。

癒し:与えること、表現すること

このプロセスでの癒しは、与えること、そして表現することです。

いままで歩いてきた道のり。

それを経た自分自身。

その経験や、新しく生まれ変わった自分自身を、世界に与えていくこと。

その自分を、表現していくこと。

そうすることで、癒しは加速していきます。

この自分を、どう与えていこうか。

それを考えていくことが、何よりの癒しになります。

 

本記事の執筆に際して、「死とどう向き合うか(アルフォンス・デーケン著、NHK出版)」を参考にさせていただきました。

「死とどう向き合うか」については、以前に書評も書かせていただいております。

書評:アルフォンス・デーケン著「死とどう向き合うか」に寄せて - 大嵜直人のブログ

もしご興味がありましたら、ぜひご一読くださいませ。

今日は、大切な人を失ったあなたが、立ち直っていく4つのプロセス、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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