大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

罪悪感は、軽さを嫌う。

私たちが抱える問題の多くが、罪悪感に関係するものです。

そして罪悪感とは重さの象徴であり、軽さを嫌うものです。

1.問題は、見つけたら笑え

昨日の記事では、問題は、見つけたら笑おう、というテーマでお伝えしました。

問題を見つけたら、それを笑える自分でいられるように。 - 大嵜直人のブログ

自分の心と向き合っていくと、問題が見えてくることがあります。

癒着であったり、犠牲であったり、罪悪感であったり。

そうした問題を見つけたとき、まずはその問題があること自体を否定しないことが大切です。

「こんな問題があるから、私はダメなんだ…」といったように、その問題を理由に自分に対してダメ出しをしなくてもいいんです。

むしろ、「問題の影に才能あり」とも言われる通り、問題はその人の光や才能といったものと深く結びついているものです。

だから、問題は否定するものでも、消そうとするものでもないんですよね。

問題を見つけたときは、「笑う」くらいの感覚が、ちょうどいいのでしょう。

問題を重くとらえようと思ったら、いくらでもできます。

そうではなくて、「あぁ、こんな問題があるのね。しょうがないな笑」くらいに、軽く扱ってみること。

そうした態度は、「それも自分だから、受け入れよう」という、自分を受け入れ、許していくことにつながっていくのです。

どんな問題を持っていても、そのままの自分を受け入れ、許し、愛してあげること。

それが、理想なのでしょう。

2.罪悪感は、軽さを嫌う

ここでいう「笑い」とは、軽さです。

ずーんと陰鬱な重さとは対極にあるものです。

「ま、いっか」「しょうがないよね」といったように、重くとらえないこと。

それが、問題を扱う、向き合う上で、とても大切な姿勢であり、態度です。

これは、単に能天気というか、楽観的であるというよりも、重くなって罪悪感を抱え込まないようにする、とても大切なことなんですよね。

私たちの問題の多く、というかほとんどに、罪悪感は絡んできます。

「誰かを傷つけてしまった」「大切な人を助けられなかった」という分かりやすいものから、「何もできなかった」、あるいは「自分が恵まれている」といったように、ちょっと分かりづらいものまで。

罪悪感は、実にさまざまな形で、私たちを幸せから遠ざけてきます。

いえ、罪悪感があるゆえに、私たちは自分から幸せを遠ざける、といった方がいいのでしょう。

こうした罪悪感は、「重さ」に象徴されます。

罪悪感のイメージって、重たい荷物を背負った人が、坂道を上らされている…そんなイメージがあります。

その究極的なものが、キリスト様が十字架を背負っている姿でしょうか。

罪悪感を持っていると、心も身体も「ずーん」と重くなり、自由に動けなくなるようです。

実際、罪悪感が強いとフットワークが重くなるものです。

この対極にあるのが「軽さ」であり、その象徴が「笑い」なんですよね。

罪悪感は、軽さを嫌うのです。

3.笑う時間を意図的につくること

まあ、言ってみれば「笑う門には福来る」というだけの話なんですが、実際そうなんですから、しょうがないですよね笑

もちろん、自然に笑えるのが一番なんでしょうけれども、意図的に笑う時間をつくることでも、ずいぶんと変わります。

そういう意味では、お笑い芸人や漫才師、コメディアンといった方々というのは、尊い仕事ですよね。

もちろん、必ずお笑いを見なければいけない、というわけではありません。

自分が笑えるのであれば、お笑いにこだわる必要はありません。

ただ、自分が笑える、笑顔でいられるのは、どんなときなのか。

そうした時間を、自分に与えてあげること。

それを意図的にすることは、私たちの罪悪感を癒すのに、実に役に立つものです。

罪悪感は、軽さを嫌うものですから。

今日は、罪悪感は軽さを嫌う、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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