自立の人が抱く罪悪感のなかでも、非常に大きいのが「味方討ち」の罪悪感です。
その心理と、受けとれない自分をどう扱っていくか、というテーマをお伝えします。
1.コントロールと受けとれない問題
昨日の記事では、コントロールと愛を受けとれない問題、というテーマについてお伝えしました。
他人をコントロールする心理の最大の問題は、「愛が受けとれなくなること」こと。 - 大嵜直人のブログ
他人やものごとをコントロールしたくなる心理は、自立的な人がよく陥る心理です。
そもそも、人は依存の時代に傷ついた反動から、自立します。
自分では何もできない状態だと、誰かに与えてもらう、何かしてもらうしかありません。
けれども、それは主導権を相手に握られている状態です。
自分の望んだとおりに与えられないと、無価値感に苛まれたり、ひどく傷ついたりします。
そうしたことが重なっていくと、
「それなら、もう自分で全部やる!」
とばかりに、自分でなんでもやろうとする方向へと舵を切るわけです。
これが自立ですね。
それゆえに、自立はコントロールとは切っても切り離せない関係にあります。
しかし、自分でなんでもコントロールしようとしていると、大きな問題を抱えることになります。
それが、「愛を受けとれない問題」です。
コントロールとは、自分でぎゅーっと手綱を握っていたり、相手を檻のなかに入れていたりする状態ですから、相手の意志や想い、愛を受けとれなくなります。
「どうせこの人も、鎖を解いたら、どこかへ行ってしまうんだろう」
とばかりに。
せっかく、相手が自分を想って贈ってくれた愛を受けとれない、という状態になってしまいます。
「受けとれない」のは自立の典型的な症状ではありますが、コントロールの心理から見ても、それは顕著なようです。
2.自立と「味方討ち」の罪悪感
無力感と罪悪感は、双子のようなもの、とよく言われます。
片方から見れば無力感、もう一方から見れば罪悪感、といったように。
そして、依存の状態は無力感を感じやすく、自立の状態は罪悪感を抱きやすいものです。
この自立の人の罪悪感の、最たるものが、「受けとれない」罪悪感だったりします。
自立のなかでも、一番しんどい罪悪感の一つですね。
自立とは、言ってみれば自分の弱さを隠している状態です。
強固な城壁をつくったり、相手やものごとをコントロールしたりして、傷ついた自分をできる限り晒さないようにしているわけです。
でも、そうした自立の人が抱える傷を、気づいてくれる人もいるんですよね。
その傷を分かっているから、コントロールされてあげたり。
あるいは、高い城壁を乗り越えて、救いの手を差し伸べようとしてみたり。
そうした愛を贈ってくれる人が、ときに現れるわけです。
でも、自分の傷を隠している自立の人にとっては、それは脅威なわけです。
コントロールしているつもりが、相手の掌の上で踊っているだけだったり。
ハリボテの城壁を越えて、ボロボロの自分を見られたり。
自立の人にとって、そんなことは絶対にあってはならないんです。
だから、受けとれないし、救いの手を追い払ってしまうわけです。
そして、せっかく救いの手を差し伸べてくれたのに、ひどいことをした…と、罪悪感に苛まれてしまうんですよね。
はい、自立大好きな私も、何度となく、そんな経験をしてきました笑
3.そこに花が咲くように
だから「受けとりましょう」なんですけれども、それですっと受けとれたら、まあ誰も苦労はしないですよね笑
だから、まずは自覚するだけでいいんだと思います。
「あぁ、いまの自分は、受けとれてないんだな」って。
まずは、それでいいんです。
そこで受けとれない自分を責めはじめると、またややこしくってしまいますので笑
そして、自分の心に聞いてみるんです。
「ほんとは、受けとりたい?それとも、受けとりなくない?」
すぐに答えが出なくても、構いません。
ただ、問いかけることに、意味があります。
私の経験則上、自分が気づいていることの何百倍、何千倍もの愛が、自分には注がれているものだったりします。
道を歩いていれば、そこに咲く花が、自分に微笑んでいたりします。
それくらい、自然に愛は注がれているものなのかもしれません。
私たちが、受けとっても、受けとらなくても。
そんなことは、お構いなしに。
いつか、受けとれる。
そんな風にとらえるだけで、いいのでしょう。
今日は、自立の心理と、「味方討ち」の罪悪感について、というテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま5月度の個人カウンセリングを募集中となります。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。