自分にとって「当たり前」に感じる部分は、他人にとってはそうではありません。
才能や魅力も、この「当たり前」のように感じる部分に宿るのですが、それゆえに自覚しづらいものだったりもします。
1.寂しさという痛みと、才能
先日の記事では、寂しさという痛みと才能、というテーマでお伝えしました。
寂しさに痛みを感じるのは、居場所を与えられる才能があるから。 - 大嵜直人のブログ
私たちが傷ついたり、心が痛みを感じたりすること。
それは、才能のありかを指し示しているというお話からの流れでした。
「痛み」を感じるところには、その人にとっての大切なものがあるんですよね。
反対に、そこに愛も興味もなければ、何も感じないのでしょう。
天気予報を見るとき、自分の住んでいる場所や、旅行に行く予定の土地の予報しか、見ないですよね。
それと、同じようなものです。
見知らぬ国の見知らぬ土地の天気を聞いたところ、「そうなんだ」としか思わないわけです。
けれど、これが息子が留学しているところだとしたら、「結構冷えてるな、暖かい格好しているかな」とか思うわけですし、まして災害なんかがあったら、心配したり胸を痛めたりするわけです。
痛みを感じる場所にとっては、その人にとっての大切なものや愛と関連しています。
そしてそれは、その愛を与えられる才能と、深い関係があります。
昨日の記事では、その具体的な例として、「寂しさ」という痛みを感じる人には、つながりや居場所を与える才能がある、というテーマをお伝えしました。
2.「当たり前」ゆえに、自覚しづらいのが才能
こうした才能を見ていくときに、「当たり前」という感覚は非常に大切になります。
というのも、自分の才能、あるいは価値や魅力は、なかなか自覚しづらいものだからです。
それを受け取るのが難しい、という受けとり方の問題でもありますが、それ以上にそうした才能が「ある」こと自体に気づきづらいものです。
なので、自分の価値を真に受けとるとき、二重の意味での難しさがあります。
一つは、それに価値があること自体に、気づかないこと。
もう一つは、たとえ気付いたとしても、「いやいや、そんな自分なんて…」と受けとることを拒んでしまうこと。
自分の才能や価値を受けとるというのは、難しいものですね。
とはいえ、それを受け取っていくためには、まずは一つ目の「それが価値をあること」を自覚することが、はじまりなんですよね。
その人にとって、「そうするのが当たり前」になっていることほど、価値を感じづらいものですから。
当たり前のように、誰かのために動くことができたり。
当たり前のように、その場の雰囲気を和ませるようとしたり。
いろんな「当たり前」がありますが、それは別の人にとってみれば、「当たり前」ではないかもしれないのです。
そして、その価値を自分だけが理解していなかったりする。
3.それが「無い」ことが耐えられない
だから、周りの人に価値を教えてもらったり、時にカウンセリングで第三者的な目線から見てもらうことは、とても大切なんですよね。
それはそうなんですが、今日は少し自分で自分の才能を知る手助けになる見方をご紹介しようと思います。
「当たり前」を知るのが早いのですが、なかなか「当たり前」って、自覚しづらいものです。
なので、少し見方を変えて、
「それが無いと、耐えられないものは、なんだろうか?」
という問いかけは、いかがでしょうか。
「人生のなかで、これだけは『無い』と耐えられないものは、なんでしょうか?」
すぐには、出てこないかもしれません。
けれども、時間をかけて、いろいろ考えてみる価値のある問いかけです。
何が「無い」と、耐えられないでしょうか。
他人からの信頼?愛するパートナー?人とのつながり?経済的な豊かさ?家族の笑顔?
…いろんなものが、あるのでしょう。
それが「無い」ことが耐えられないから、それに向かって歩くのが「当たり前」になるんですよね。
そこにこそ、才能は宿るわけです。
あなたの人生にとって、無くてはならないもの、無いことが耐えられないものは、なんでしょうか。
それは、あなたの才能や魅力のありかと、密接な関係にあるのです。
今日は、「当たり前」のように感じるゆえに、自覚しづらいのが自分の才能、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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