「自立」している人は、怒りっぽかったり、怒りをよく感じるものです。
そして「怒り」とは感情の蓋であり、その底には抑圧してしまったネガティブな感情があるのです。
1.「デッドゾーン」について
昨日の記事では、「デッドゾーン」について、というテーマでお伝えしました。
「デッドゾーン」とは、古い自分の死と新しい自分の誕生が交差するところ。 - 大嵜直人のブログ
「自立」の行き着く先である、「デッドゾーン」のお話ですね。
私たちの心は、「依存」から「自立」、そして「相互依存」へと、その成長プロセスをたどります。
自分では何もできないから、誰かに与えてほしいと要求するばかりなのが「依存」。
それがしんどくなって、自分一人でなんでもしようとするのが「自立」。
「自立」は自分でできることが増える反面、常に誰かと競争し続けるために疲弊しやすく、また孤立したり対立したりといった問題を抱えやすくなります。
「自立」の次には、誰かと「ともに」生きるという「相互依存」のステージがあるのですが、「デッドゾーン」はその「自立」の行き着く先の症状といえます。
そこでは、外側から見てどれだけ成功しているように見えても、本人の心の中は乾ききっており、何の充実感もなく、ただ「やるべきこと」と「与えられた役割」を淡々とこなしてくだけの日々のように感じていたりします。
そのため、別れや退職といった、関係性が終わりを迎えるのも、この時期に起きやすくなります。
ただ、こうした「デッドゾーン」は、決してネガティブなものではなく、むしろ新しい自分に出逢う場所と捉えることができます。
それは、私たちが「相互依存」へと至る、通過儀礼のようなものなのでしょう。
2.「自立」と「怒り」
さて、こうした「デッドゾーン」に至る「自立」の心理について、今日はもう少し掘り下げてみたいと思います。
「自立」の人の特徴として、感情を抑圧しているというものがあります。
それは、「依存」時代に傷ついた分、もうこれ以上ネガティブな感情を感じるのはこりごりだとばかりに、そうした感情を抑圧するからです。
しかし、ある一つの感情だけを抑圧することはできません。
「悲しみ」を抑圧すると「喜び」も薄れるように、「寂しさ」を抑圧すると「つながり」や「親密感」を感じにくくなるように、一つの感情を抑圧すると、それはすべての感情を抑圧することになっていきます。
だから、「自立」するほどに、感情を感じづらくなります。
そして、こうした感情を抑圧するときに、私たちは「怒り」を使います。
怒ることで、感情を抑圧して、感じなくするわけです。
だから、「自立」している人は、常に何かに怒っていたり、カリカリしていて怒りやすかったりするのです。
「自立」と「怒り」には、切っても切れないというか、非常に深い関係があります。
3.「怒り」は感情の蓋、それならば…
これ、逆から見ると、「怒り」を感じるときは、何がしかの感情を抑え込んでいる、と見ることができます。
それは、自分にとってあまり感じたくない感情なわけですよね。
恥ずかしさや悲しみ、あるいはみじめさ…そういった、あまり感じたくない感情を抑えこむために「怒り」は使われることが多いものです。
「怒りは感情の蓋」と言われたりもします。
この「怒り」を使って隠してきた感情に、「デッドゾーン」を抜ける、「自立」を手放すためのカギがあります。
もし、あなたが「自立」していて、「怒り」を頻繁に感じるようであれば。
その「怒り」に隠した感情は、どんな感情なのでしょうか。
悲しみ?
それとも、寂しさ?
あるいは、誰も助けてくれないという絶望感?
大好きな人を笑顔にできなかった辛さ?
その感情は、「依存」時代の痛みと、深い関係があったりします。
こんな辛い思いは、もうしたくない。
だから、その感情を封印して、自分でなんでもやろうと生きてきた。
それが「自立」であり、そのプロセス自体は責められるべきものでもありません。
ただ、もし「デッドゾーン」に陥ったり、「自立」に限界を感じるようであれば、それは、「依存」の時代に置き忘れてきた感情と向き合うタイミングなのかもしれません。
今日は、「怒り」は感情の蓋ならば、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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