どんなできごとでも、どのような見方をするのかは、自分自身が選んでいるものです。
もしそれが酷に聞こえるならば、それはまずは自分を整えなさい、というサインだったりします。
1.「自分が選んでいる」という意識
昨日の記事では、過去の意味づけを「自分で選んでいる」という意識、というテーマでお伝えしました。
その見方を「自分が選んでいる」と意識すると、見えてくるものがある。 - 大嵜直人のブログ
過去に起こったできごとは、変えられません。
昨日雨が降ったことや、先月彼女と別れてそれ以来会っていない、という事実は変えられませんよね。
しかし、そのできごとに対しての意味づけや、そこに貼り付く感情は、変えることができます。
「せっかくシーツ類を洗濯したかったのに、イヤな雨」と見るのか、「ゆっくりしなさいっていう、恵みの雨」と見るのか。
「望まない別れによって孤独になった」と見るのか、「それぞれに新しい人生の船出のタイミングだった」と見るのか。
それによって、過去のできごとに対しての意味づけは、変わりますよね。
そして大切なのは、どの意味づけを選ぶのかは、「自分が」選んでいる、ということです。
どうしても、私たちは望まないできごとが起こると、受け身や依存、被害者の心理になってしまいがちです。
もちろんそれは、当たり前の反応といえば、当たり前なのですが、受け身や依存の立場でいると、なかなかそこから抜け出すのは難しくなります。
言ってみれば、相手次第、状況次第になってしまうわけですから。
そこで、しんどいんですけれども、「それも、自分が選んでいる」という方に意識を向けていくと、少しずつ状況を変えていくことができます。
自分が、選ぶことができる、という意識。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.酷な話に聞こえるとしたら、まずは自分を癒すこと
今日は、この「自分が選んでいる」というテーマを、もう少し掘り下げてみたいと思います。
このテーマって、聞き方によっては、けっこう酷な話に聞こえるかもしれません。
だって、どんな悪いことが起こったり、ひどい状況になったとしても、それをネガティブにとらえるのは自分が選んでいる、と言われるわけですから。
「そんなこと言ったって、私のせいじゃないもん!」とか、
「こんな状況だったら、誰でも悪態つきたくなるわ」とか、
自分が選んでいるとは、あまり思いたくないものですよね笑
でも、そこが分かれ道なんです。
ただ、そこで「そうはいっても、これも『自分で選んでいる』と言われると、酷だなぁ…」と感じるのであれば、それは自分を癒す方にフォーカスした方がいいというサインになります。
何ごとにも順番がありますし、タイミングというものがあります。
「自分が選んでいる」
そう思えないときは、自分を癒すことを優先していいんです。
好きなだけ、自分に愚痴らせてあげる。
それができる場所を、用意してあげる。
悲しいならば、その悲しみに浸らせてあげる。
身体が疲れているならば、ゆっくりと休養を取ってあげる。
まずは、自分を癒し、満たすこと。
そこから始めることが、とても大切なことです。
3.依存を抜け出すのは、苦しいもの
「自分が選んでいる」というのは、依存ではなく自立のポジションに立つ、ということを意味します。
しかし、依存から自立に移るのは、とてもエネルギーが要るんですよね。
だって、いままで3食昼寝付きでお世話してもらっていたところから、「いや、これからは自分で炊事洗濯、掃除をしよう」とするようなものですから。
そりゃあ、最初はしんどいですよね。
「え、誰かやってくれないの?」という思いも、出てきますよね笑
依存から自立に移行するのは、大変なんです。
身体的な体力もそうですし、心の余裕もそうですよね。
「すべては、自分が選んでいる」という見方ができるようになるためには、まずは自分を整える必要があります。
それが癒しであり、休養であり、自分を満たす、ということになるのでしょう。
だから、もし「自分が選んでいる」という見方が厳しいものに聞こえるならば、それは、まずは自分を癒して整えましょう、というサインなのです。
今日は、「すべては自分が選んでいる」のが酷に聞こえるなら、まずは自分を整えなさいというサイン、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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