過去の痛みを、「悲しい物語」としてとらえることはできますし、そう見てしまうことが多いものです。
けれども、それを「愛の物語」としてとらえることもまた、できるのです。
1.条件付きの愛し方
先日は、条件つきの愛し方とは、というテーマでお伝えしました。
条件付きの愛の「条件」は、それがないと愛されないという観念。 - 大嵜直人のブログ
条件などつけずに、そのままの自分自身をまるごと愛してほしい。
そう、私たちは願うものです。
しかし、私たち自身が、私たちを条件つきで愛してしまうものです。
「〇〇ができる自分は、OK」
「あの人に認められる自分は、大丈夫」
「わがままを言わないから、愛される資格がある」
そういった条件を、自分自身に求めてしまうことがあります。
そうした愛し方は、その条件がクリアできているうちはいいのですが、条件がクリアできなくなった時点で、ものすごく自己嫌悪だったり、自分を否定してしまうことになります。
こうした条件というのは、「そうしないと、愛されない」という、私たちの痛みというか、強い観念を教えてくれるものです。
それゆえ、「こんな条件を持つのはよくない!」と否定するのではなく、その観念を持たざるを得なかった、そう生きるほかなかった、という自分自身に寄り添ってあげることが、自分をまるごと受け入れる一歩目です。
先日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.条件をつくる過去のできごとと痛み
条件つきの愛し方の「条件」とは、私たちが一番強固に持っている自分自身の観念であり、「それがないと(そうしないと)生きていけない」と思っているものです。
それは、過去の痛みからつくられることがほとんどです。
そうしないと、生きられなかった。
それをしないと、誰かを悲しませるから。
そうした想いから、その観念を持つようになるわけです。
最も多いのは、やはり親との関係でしょうか。
「なんでも自分一人でできるようにならないと、いけない」
そうした観念を持つようになるのは、自分のことを自分ですることで親が喜んだ経験から、つくられたりします。
あるいは、「誰かに頼っていたら、愛されない」という観念があるのだとしたら、それは自分が親に頼れなかったか、もしくはその反対に、親が弱くて自分が親を助けたり、支えたりといったように、「親の親」をしてきた経験があったのかもしれません。
そうした「頼ってくる親」は、子どもは全力でなんとかしようとします。
けれども、子ども時代に子どもらしいふるまいができなかったことは、やはり痛みとなってしまうことも多いものです。
その痛みが、「誰かを頼ってはいけない」「誰かを頼ることは、迷惑をかける」という観念をつくるのは、想像がつくのではないでしょうか。
3.過去の痛みと向き合うときに大切な視点
こうした過去の痛みを癒していくことが、この観念をゆるめていくこと、そして条件付きの愛し方を変えていくことにつながります。
そのときに大切なのが、「痛み」から見ない、という点です。
ものすごくデリケートなところなので、表現が難しいところなんですが、がんばってみます笑
たとえば、先ほどの「弱い親を助けてきたがゆえに、他人にうまく頼れない」という観念をつくってしまった例にしても、それを「悲しい物語」「悲劇」としてとらえようとすれば、いくらでもできるわけです。
親の悲しみ、それを癒せなかった自分自身の痛み、あるいは周りの人の傷…
いろんな悲しい物語として描くことは、可能なのでしょう。
そして、それはすごく感情を揺さぶられるものです。
けれども、そこで出てくる登場人物を「悲しい人たち」としてとらえるのではなく、「愛に満ちあふれた人たち」として見ることもできます。
その悲しい物語を、愛の物語として見ることもまた、可能なんですよね。
その愛というのは、弱い親を支えてきた犠牲的なものを指しているわけではありません。
そうではなくて、そこで出てくる登場人物それぞれの愛に目を向けることは、可能ではないでしょうか。
もちろん、それはすれ違うこともあったでしょうし、なかなか伝わらないことも、あったかもしれません。
ただ、そこに愛があった。
そこに目を向けることが、過去の痛みと向き合うときの一歩目と言えます。

今日は、条件付きの愛の「条件」について、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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