観念を手放していくことは、それを持った自分のプロセスを受け入れ、許していくことでもあります。
そうするほかなかっただけで、そこにいいも悪いもない。
そんな受け入れ方ができると、許しは少しずつ進んでいくものです。
1.観念に、感謝する。
昨日は、観念に、感謝する、というテーマでお伝えしました。
私たちは、誰しもが何らかの観念を持っています。
それは「世界をどう見るか」というフィルターであり、ビリーフや思考バターン、思い込みとも呼ばれます。
こうしたフィルターを持つのは当たり前のことではありますが、それが自分にとってしんどいものであると、なかなかしんどいものです。
「どうせ、私は誰からも愛されない存在だ」
「私が大変なとき、誰も助けてくれない」
「肝心なときに、人は裏切る」
…などといった観念を持っていると、愛されないようにひっそりと生きるしかなくなったり、一人でなんとかするしかなくなったり、人を信じることができなくなったりします。
それは、なかなかにハードモードですよね。
こうした観念は、気づいたら手放していくのがいいのですが、そのときその観念を否定してしまうと、これまたうまくいかなかったりします。
その観念を大事にしてきた自分を、否定してしまうことになってしまうからです。
観念は、自分が傷ついた経験や、「もうこんな想いはしたくない」という経験から生まれるものです。
それは、自分自身を守るために生まれたものであり、自分を守ってくれた鎧でもあるのですよね。
だから、観念は否定するものでもなく、いままで自分を守ってきてくれて、ありがとう、と感謝することができると、手放しは進んでいくものです。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.手放し、許し
観念に限らず、何かを手放していくとき、感謝は一つのバロメーターになります。
別れた恋人や破れた夢、許せない相手…いろんな執着を手放していくときも、そうですよね。
感謝ができていなければ、まだ手放しのプロセスの途上にあるのでしょう。
もちろん、完全に手放せるなんてことは、生きている間はないんでしょうけれども笑
「あぁ、この人に出会えて、ありがたいな」
「このおかげで、いまの自分があるんだもんな」
といったように、感謝を感じられるようになると、手放しが進んでいるといえます。
とはいえ、なかなかそこに至るのも難しいこともありますから、感謝ができなかったとしても、何ら自分を責めることはありません。
「あぁ、いまはまだ手放せていないんだな」、と思うだけでいいんです。
許しもまた、手放しと同じですよね。
相手を許すこと、相手に感謝すること。
それができると、ずいぶんと許しのプロセスが進んだといえるのでしょう。
3.結局、自分を許すこと
観念を手放していくことも、自分を許していくことと似ています。
それは、許しのなかでも、最も難しいことでもあります。
自分自身を許すって、難しいんですよね。
誰でも、自分に対して一番厳しいものですから。
観念を持っていることに気づいたら、それを持つに至った自分の歩みを許していくことです。
「まあ、そうするのも仕方ないよね」
「そうするほか、なかったんだよね」
そういった形で、いままでの自分のプロセスを、歩みを、受け入れていくこと。
それが、一番の許しと言えます。
そこに、いいも悪いも、ない。
ただ、そうするしかなかっただけ。
そうやって歩いてきた自分を受け止めてあげるのは、自分自身しかいないのです。

今日は、観念を手放していくこと、自分を許していくこと、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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