そのとき受けとれなくても、いつか受けとれる日がきます。
人が生きるとは、与えられた愛に気づき、受けとる旅なのかもしれません。
1.愛を受けとるのに、時間がかかることもある
昨日の記事では、愛を受けとるのに時間がかかることもある、というテーマでお伝えしました。
10年後に愛を受けとることだって、あるのだから。 - 大嵜直人のブログ
「愛を受けとる」というテーマを続けております。
「与える」のは、みんな割と得意というか、しやすいんですけれども、「受けとる」のは苦手という方も多いものです。
特に、心理的な意味で「自立」している人ほど、受けとり下手の人が多いものです。
自分の身近な人、家族やパートナーにこうした「受けとり下手」「受けとるのが苦手」な人がいると、与えても与えても渇いてしまうような、そんな感じがしてしまうことがあったりします。
昨日の記事では、そうした「受けとりベタ」の人と接するときに、参考にしていただきたいテーマでした。
まずは、「受けとってほしい」という自分の側の期待に気づくこと。
もちろん、期待すること自体は悪いことではありませんが、「あ、自分は受け取ってほしいって期待してたんだな」と気づくことで、ずいぶんと変わるものがあります。
これは、自分の内面との向き合い方というか、自分の内側に対しての見方です。
もう一つは、愛を受けとるのには、時間がかかることもある、という視点でした。
愛って、賞味期限があるものではありません。
そのときは受けとれなくても、10年後に受けとれた、なんてことも普通にあるのです。
だから、なおさら相手に「いま、うけとってよ」というのは、ちょっと酷な話かもしれませんよね。
昨日の記事では、そんなテーマでお伝えしました。
2.受けとることができたら、それでいい
私自身も、何度となく、この「一人時間差」を体験してきました。
そのときは受けとれなかったり、ひどいときは怒って受け取り拒否したりしたけれども、時間が経ってから、受けとれたこと。
まあ、古くは一人暮らしをしたときの、親のありがたみであるとか。
あとは、カウンセリングを受けて、自分の心と向き合うようになってから、また親や、自分の周りの人の愛に気づいたりだとか。
あとは、ふと見上げた桜の花に、無数の愛を見つけたりだとか。
まあ、いろいろあります。
そりゃあ、「あのとき受けとれてたら、よかったな」と、後悔することもあります。
特に親のことは、もう亡くなっていますしね。
けれども、それは罪悪感の罠なんですよね。
受けとれたら、もうそれでよし、なんです。
自分が愛を贈った側だとしたら、「なんで、もっと早く受けとってくれなかったんだ!」とは、言わないと思いますから。
「おぉ、受けとってくれたんだね。ありがとう」
ただ、それだけだと思います。
受けとれたら、それでいいんですよね。
もう、それ以上のこともないですし、それまでの自分を責めることもないんです。
3.生きるとは、愛を受けとる旅
心の世界には、時間の概念がないと言われます。
何年、あるいは何十年も前のことを、昨日のことのように覚えていたりします。
あるいは、そのときに抑圧してしまった感情を、氷漬けのようにしてしまっていたりもします。
それは、勝手には消えませんし、むしろ我慢すればするほどに、問題が大きくなったりします。
だから、カウンセリングで感情を解放していくと、昔の古い地層のような感情を感じることができたりもします。
それは、時を経ても、変わらずに感じることができますし、感じることでスッキリしたり、心に余裕ができたりもします。
愛を受けとるということでも、同じです。
そのとき受けとれなかったとしても、どこかで気づくことができるんですよね。
愛を受けとるのに、締め切りも、時間切れもありません。
ただ、気づいたときに受けとれば、いいんです。
そう考えていくと、人が生きるとは、愛を受けとる旅なのかもしれません。
自分の与えられた、愛。
自分に降り注ぐ、愛。
それに気づき、受けとる旅。
人生の季節が深まるほどに、受けとれる愛も増えていくのでしょう。
私のカウンセリングでは、そんなお手伝いをさせていただきたいと思っております。
今日は、人生の季節が深まるほどに、受けとれる愛もまた増えていく、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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