欲しい愛を自分の外側に求めても、なかなか満たされません。
まずは、自分自身がその愛を与えることからはじまります。
1.本当に愛してほしかった自分とは
昨日は、本当に愛してほしかった自分とは、というテーマでお伝えしました。
本当に愛してほしかったのは、どんな自分だったんだろう? - 大嵜直人のブログ
私たちは、生きていく中で「こうしたら愛される」「あれをしたら愛されない」という経験を重ねていきます。
いわば、「どうしたら愛されるか?」という研究を、ずっと続けているともいえるのでしょう。
こうした「こうしないと愛されない」という研究は、そのまま自分自身への禁止事項になっていきます。
誰だって、周りから嫌われたくないわけですから、その研究結果にしたがって、「こうしたら愛される」という自分を演じるようになります。
それは、仮面をずっとかぶって生きていくのと同じで、時には窮屈になってしまうことがあります。
顔の前にビニール袋が貼り付いているような、そんな息苦しさを感じることすら、あるのでしょう。
私たちの心の奥底にある、「ほんとうは愛してほしい私」が疼くんですよね。
どれだけ、その仮面をかぶった自分が愛されても、どこか満たされない。
なんだか空虚だし、愛されている実感がない。
「こちらの私も、愛してほしい」
そうした想いを抱いて、苦しくなってしまうことがあります。
ほんとうに愛してほしかったのは、そちらの隠してきた自分だったりします。
2.外に求めても、満たされない
この想いが苦しいのは、外に求めても満たされないところなんです。
いや、「愛しほしい」んですから、外に求めるのは自然なことです。
けれども、そこには2つのハードルがあります。
一つは、その自分を外に出すというのは、ものすごく怖い、ということ。
それも、愛されたいと願うパートナーのような存在が相手であれば、なおさらです。
いままでずっと、「この自分では愛されない」と思って隠してきたわけですから、それはそうですよね。
ずっと禁じてきた自分を外に出すのは、難しいものです。
そしてもう一つは、その自分を受け入れてもらえたとしても、相手を試すような行動を重ねてしまう、という点です。
これ、思いあたる方は多いんじゃないでしょうか。
愛されないと思っていた部分を愛されたとしても、受け入れてもらったとしても、不安なんですよね。
「嘘をついているんじゃないか」
「なにか裏があるんじゃないか」
そういった疑念が、なかなか晴れることはありません。
そして、「それじゃあ、これならどう?愛せる?」とばかりに、相手を試すような言動をしてしまうのです。
このハードルを跳べたなら、次はもっと高いハードルを用意する、みたいな感じでしょうか。
どれだけ跳んでも、それよりも高いハードルを用意するわけですから、満たされることは原理的に無理なんですよね。
そうしているうちに、相手が疲弊してしまい、「もう跳べない」となってしまう。
「おぉ、ブルータス、お前もか!」
と絶望してしまうわけです。
3.自分が愛し、受け入れるしかない
外に向けても、満たされない。
相手が跳べなくなるまで、ハードルを上げ続けるだけだから。
外ではなく、内、なんです。
自分が、その愛されないと思っている自分を、受け入れてあげる。
愛してあげる。味方でいてあげる。
それが、満たされるための唯一の方法です。
誰にも愛されないと思い込んできた、自分。
こんな自分ではだめだと思ってきた、自分。
その自分自身を、愛してあげるんです。
愛してあげる、というと難しいかもしれませんが、仲直りする、という表現でもいいかもしれません。
「いままで放っておいてしまって、ごめんね」
まずは、そんな言葉をかけてあげることからでしょうか。
私たちは、気づかないうちに自分自身に厳しい言葉を投げかけて、ひどい扱いをしてしまったりするものです。
「この自分では、愛されない」
そんな自分に対しては、なおさらですよね。
そうした自分と、仲直りしていくことが、最初のステップなのでしょう。

今日は、欲しい愛を外側に求めても、満たされない、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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