今日は、個人的な日記というか、エッセイですので、ご容赦ください。
お彼岸を過ぎてしまったのですが、お墓参りに行ってきました。
このところは、ずいぶんと朝晩気温が下がってきて、過ごしやすくなってきたように思います。
「暑さ寒さも、彼岸まで」
つい先週までは、「なんだ、この暑さは…」とボヤいていたのが、嘘のように感じられます。
ただ、まだ日中は30度を超える日も多く、お墓参りの日も、ずいぶんと日差しが強いなぁ、という感じでした。
それでも、今年の夏の暑さを思えばかわいいもので、無事にお墓参りを済ませることができました。
それにしても。
私の父が亡くなったのが、2001年のことでした。
母は、その1年半後の2003年。
もう、四半世紀近くの時が流れたと思うと、月日が過ぎゆく速さに、驚きを禁じ得ません。
そういえば先日、「親しい人を突然亡くした悲しみから、どうやって乗り越えたんですか」と聞かれたことがありました。
「うーん…」と答えに窮してしまったのですが、一つ言えるのは、まだ乗り越えたわけでもないし、悲しみは悲しみとしてあるのが、正直なところでしょうか。
「許し」や「癒し」と同じように、完全に許せるとか、完全に癒えるとかは、ないのでしょう。
不完全なのが、生きているということなのでしょうから。
その上で、時間が経つにつれて、そのできごとを思い出すときの感情が、変わってきたのは、あると思います。
怒りや悲しみといったネガティブな感情を感じることが多かったのが、父母への感謝や愛といった、ポジティブなものを感じることが多くなった。
それは、間違いないことだと思います。
じゃあ、どうしてそうなったのか?と考えてみるのですが、時間が癒してくれた、というのが大きいように思うのです。
もちろん、私自身、カウンセリングを受けたり、心の痛みを癒すために、いろんなことをしてきたのは、間違いありません。
ただ、それが原因かと言われると、それはあくまできっかけというか、そんな風にも思えるのです。
もちろん、それはとてもありがたいきっかけではあるのは、間違いありません。
ただ、身体がそうであるように、私たちの心もまた、時間とともに自分を癒していく力がある。
それを信じられるようになるのに、時間がかかる、とも言えるのでしょうか。
「タイミングがある」と言われたりします。
同じことを言われても、あるときは聞き流してしまったのに、あるときはものすごく心に響いた。
そんなことが、よくあるものです。
逆に言えば、そのとき癒すことができなかったとしても、いつかは癒していくことができる。
時間には、それだけの力があると思うのです。
そしてそれは、誰にでも等しく、与えられているものでもあります。
偉大な力を持つ、時間。
いま考えてみても、先の問いかけに答えるとするならば、「時間が経ったから」という、なんとも面白みのない答えが、いまの私の実感のように思います。
ただ、素敵じゃないですか。
何をしていても、何もしていなくても、流れていく時間。
それが、味方でいているなんて、素敵ですよね。
そうは、思いませんか。