銀杏並木が目に留まるのは、やはり秋の紅葉シーズンでしょうか。
けれども、この季節の銀杏もまた、いいものです。
私が通っていた大学のキャンパスにも、銀杏並木がありました。
駅から歩いていくと、その銀杏が並ぶ大きな道が、キャンパスの正面入口でした。
みんなそこから歩いて、校舎へ向かうのでした。
秋が深まると、黄金色に染まった銀杏並木が、学生たちを迎えてくれました。
記憶のなかでは、その立ち姿よりも、歩道一面に敷き詰められたような、その落ち葉が思い浮かぶのは、なぜでしょうか。
秋が過ぎて、皆が必死になる冬季試験が終わると、キャンパスは静かなものです。
4月になれば、新入生を迎えてにぎやかになるのでしょうけれども。
2月や3月のキャンパスの、主のいないもの寂しさは、どこか別世界のようでした
受験のときに、別の大学の試験が終わった後、その周りの街を散策したことがありました。
古本屋の並ぶ、静かな街でした。
試験期間は大学も休みで、学生たちはどこかへ散ってしまい、店を開けている古本屋も、しんとして静かなものでした。
ふらりとその書店のなかの一つに入り、並んでいる難しそうな学術書を、めくってみたりもしました。
静かな街は、どこか主の不在に寂しげでしたが、毎年こうなのだろうと思うと、どこかその静けさは日常のようにも感じられました。
長い大学の休みでも、他に行くところのない私は、毎日キャンパスに足しげく通っていました。
学生会館のようなところが、あり、朝9時から夜9時まで空いていました。
貯金をはたいて購入した楽器を練習して、飽きたら図書館で過ごしたりして、日がな一日を過ごしていました。
旅行や、いろんな合宿や、周りの友人は長期休みだと、どこかへ出かけるものでしたが、私はいつも変わらずその部屋にいました。
長期休みは食堂やお弁当屋さんが営業しないので、食事だけは面倒でしたが、それを除けば、好きなことを好きなだけできる時間と場所だったのかもしれません。
たまに、キャンパスに何か用事があったりする友人が、その部屋を訪ねてくることがありました。
それが、うれしかったりもしました。
私は昔から、自分の居場所をつくって、そこで人を待つ、という気質なのかもしれません。
長期休みに友人と会うと、いつもと違ったような感じがしました。
普段は話さないことを、話せたり。
あるいはその逆に、普段はよく話すのに、無言のゆっくりとした時間が流れていたり。
それは、旅先で人と出会う感覚に、似ていたのかもしれません。
この季節の銀杏並木を見ると。
どこか、あの異世界のように静かなキャンパスが、懐かしく感じられるのです。
好きなことをしながら、人を待てるのは、幸せな時間だったとも思うのです。