大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を ~静かな公園に吹く風に

桜も散ると、風の感じが変わるようです。

少しぼんやりとしていた春のそれから、透き通るような風に変わっていきます。

特に、雨が降ったあとは、その変化が大きいようです。

雨は、春の霞んだ何かを流してくれるのでしょうか。

この時期の澄んだ風を浴びていると、同じような澄んだ風を浴びた、古い記憶が想起されるのです。

 

祖母の家の近くには、市民会館がありました。

その市民会館の横に、小さな公園がありました。

祖母、と書いたのは、私が物心ついたころには祖父は病気で寝込んでおり、あまりコミュニケーションをとれた記憶がないからなのでしょう。

祖母は、共働きだった私の両親に代わって、私の面倒をよく見てくれていました。

小学校の低学年あたりのころ。

学校から帰ると、家で出迎えてくれたのは母ではなく、祖母でした。

おそらく人よりも記憶力の乏しい私は、そのころ何をしていたのか、何を話していたのか、あまり覚えていないのです。

自分の息子が、ブーブー文句を言いながら宿題をやっているのを見て、自分がそんなに宿題をしていたのだろうか…?と首をかしげるばかりでした。

祖母に宿題を見てもらった覚えもなければ、親に見てもらった覚えもないのです。

まあ、与えられた愛を忘れてしまうのが私たちですから、覚えていないだけで、見てもらっていたのかもしれません。

 

祖母が私の面倒を見ることができたのも、家が近かったからだったのでしょう。

自転車で、5分ほど。

歩いても15分もかからないような近くに、その祖母の家はありました。

当時、会社も学校も、まだ週休2日制ではなく、土曜日は半日授業、半日仕事が当たり前でした。

仕事のある両親に代わって、土曜日の昼食を用意してくれたのも、祖母でした。

昼過ぎに帰宅すると、そのまま祖母の家に。

チャーハンやカレーか…そんな昼食が、ごちそうでした。

昼食を終えると、習字教室に通っていましたので、そこで習字をすると、あとは何もない時間でした。

祖母の家は、私の通っていた小学校とは違う学区にあったため、近所に知り合いもいませんでした。

ぼっちの私は、よく冒頭に書いた公園に、何をするでもなく遊びにいったものでした。

 

虫取り用のタモを持っていくこともありましたが、たいていは空手だったように思います。

桜が何本か並んでいて、ブランコと鉄棒があって…あとは、飛行機の形をしたジャングルジムがあったでしょうか。

まあ、一人で遊ぶにしても、すぐに飽きてしまうような、そんな遊具でした。

桜の木が、新緑の色に染まるころ。

その澄んだ風は、吹いていました。

ひらひらと、白いちょうちょと、黄色いちょうちょが、シロツメクサの花の上を舞っていました。

たいてい土曜日の午後だったからなのか、周りに住宅しかなかったからなのか、その公園はとても静かでした。

時に、子連れの親子が遊びにくることや、学区の小学生が遊びに来ることもありましたが、私一人でいたことが多かったように思います。

静かなその公園で、ぼんやりとちょうちょを眺めながら、浴びていた風。

 

この時期の風は、そんな記憶のかなたの公園の風の感触を、思い起こさせるのです。