大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を ~夏の日の逃げ水と

日差しがどこか、もう夏を感じさせるようです。

実際に気温も高いようですが、また翌日になると急に下がるのが、この時期の難しいところです。

車を運転していると、遠くのアスファルトに逃げ水が見えました。

ゆらゆらと揺れるその水たまりは、いつになっても近づくことはなく、いつまでも遠くで揺れていました。

その光景は、いつかの記憶を想起させるのでした。

 

私の故郷の街には、公営のプールがありました。

室内と室外とあって、室外のものは確か50mプールで、結構大きなプールだったように覚えています。

ただ、私の家からは遠く、自転車で行くには少し骨が折れるかな、という距離にありました。

近所にはスポーツセンターのようなところに25mプールがあったので、プールといえばそこに行くのが常でした。

小学校の低学年の頃だったでしょうか、その公営プールに母親と行った記憶があります。

物覚えの悪い私にしては、めずらしく覚えている記憶の一つです。

 

小学校に上がるタイミングで学区外から引っ越してきた私は、小学校ではあまり友だちができませんでした。

自宅が学区の端っこにあったこともあったのでしょう。

保育園、幼稚園ですでにできている友だちのグループに、なかなか入れずにいました。

だからでしょうか。

夏休みに入ると、その時間を持て余していたような気がします。

両親が共働きだったので、長期休みの日中は祖母の家にいることが多かったのも、あったのかもしれません。

そんな夏休みのある日、母親がその公営プールに連れて行ってくれることになりました。

自転車で行くことになったのですが、なぜ車でなかったのかは、いまとなっては思いだせないのです。

ただ、ぼっちで時間を持て余していた私にとっては、一大イベントだったように覚えています。

 

行きはよいよい、帰りはこわい。

そんな童謡ではないですが、自転車での道中、行きは何も記憶がないのですが、帰り道はものすごく疲れて、家に全然着かなかったことを覚えています。

プールではしゃいだこともあったのでしょう。

身体は鉛のように重く、漕げども漕げども、自転車は進まなかったように覚えています。

信号待ちをしていると、夏の日差しがじりじりと私を照らしていました。

ふと見上げると、遠くのアスファルトに、逃げ水が見えました。

それを母に伝えると、母はそれを「逃げ水」と呼ぶことを教えてくれました。

ずっと追いつけない、逃げ水。

それは、ある暑い夏の日の記憶として、私の心に残っているのです。

自分もまた仕事をするようになり、親になり。

休みの日に、子どもを屋外のプールに連れていくというのは、実に体力を使うものと知るようになり。

逃げ水の記憶は、ありがたくも愛された記憶だったのだと知るのです。

 

それにしても、気温が上がってきました。

そう思うと、雨が降って急に気温が下がったり。

そうした変化に身体が慣れるのには、時間がかかるものです。

どうぞ、ご自愛くださいませ。