大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を。 ~虹色の、霜柱。

また少し、寒の戻りがあるようです。

三寒四温、三歩進んで二歩下がる。

冬は行ったり来たりしながら、時が満ちるのを待っているようです。

そうは言いながらも、最近の冬はずいぶんと暖かいように感じます。

住んでいる場所の違いなのか、それとも暖冬になっているからなのか。

それは分からないのですが、子どもの頃を思うと、もっと寒かったような気がします。

「子どもは風の子」といわれるのに、そう感じるのですから、やはり寒かったのかもしれません。

そんなことを書くと、北国の方には怒られてしまうかもしれませんが。

 

私の実家は、西のほうに大きな山がありました。

そこから吹くからっ風が、実に冷たかったものです。

私の実家は、小学校の学区のはずれにあり、登下校にかかる時間も長かったものですから、なおさらそう感じていたのかもしれません。

マフラー、手袋、ホッカイロといったフル装備で、毎日挑んでいたように思います。

繊維関係の企業の社宅の近くの空き地が、登下校の集合場所でした。

元気な子は、その駐車場で朝から駆けまわって遊んでいたように覚えています。

そんな空き地の、冬の愉しみの一つが、霜柱でした。

ことらさに寒い冬の朝、土の地面にいくつもの櫛のような氷の柱が立っている。

それを、踏むと、ざく、ざく、と心地よい音がしました。

それがなんだか楽しくて、霜柱を探しては、踏んでまわっていました。

建物の陰のような、気温の上がらない場所に、霜柱はよくできていた気がします。

ざく、ざく、ざく。

冬の朝、歩き回りながら、そんなことをしていました。

分団が出発してからも、道端の畑で霜柱を見つけては、踏みに行ったりもしていました。

 

三つ子の魂百まで、ではないですが。

そのころから私は、内向的というか、内省的な子どもで。

登下校のなかで、誰と何を話したかといった記憶は、とんとなくて。

しゃべらなかったのか、それとも覚えていないだけなのか。

もう記憶も彼方のこと、あまり定かではありません。

ただ、冬の朝日を浴びて、きらきらと虹色に光る霜柱や、それをざくざくと踏みしめる音は、よく覚えているのです。

最近は、アスファルトで舗装された道ばかりで、霜柱を見ることも少なくなりました。

そもそも、私の住んでいるところでは、暖かくてあまりできないのかもしれません。

それでも、冬の朝、歩いていると。

あのきらきらと虹色に光る霜柱が、どこかにないかと探してしまう私がいたりします。

それは、どこかで霜柱を踏んでいる、小さな私を探しているような気もするのです。