大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

生きる理由がなくても、生きていていい。

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生きることに絶望しても、生きる理由がなくても。

立ち止まったままでも、どんな状況であっても。

生きていていい、とお伝えしたいと思います。

オンラインカウンセリング無料相談・ココロノマルシェに寄せられたご相談に、回答させていただきます。

【生きていていい理由が自分の中にない】

初めまして。

約二年前にセルフで自分を消そうとしたら、折り悪く弟のひとりと友人のひとりに察知されてしまい、のうのうと生き延びてしまった者です。

趣味という趣味、好きなことから根こそぎ興味が奪われ、無為に生きている中、どうやって社会復帰を果たせばいいのか、完全に自分を見失っている現状です。

楽しいとか嬉しいとかそんなこと感じるのが許されるのか、今までしでかしてきたことを思えば生き直すとか許されないのではとか、苦しいのが当然とか、そういう。

現状、実家に無理矢理送還されなかっただけでも大変にありがたいのですが、実家に戻ってまた自分を追い詰めて死んでしまった方が楽だったかもなとはよく思います。

こんな状況でもなんで生きてるんだろう、どこかでやり直せるとでも思ってるのか図々しい、と。

やり直せるならさっさと回復すべきだし、いつまで立ち止まったままでいなくてはいけないのかと。

昔は愛情深い人間だったような気がしてます。幻かもしれないけど。

今は愛する人などこの世にひとりもいなくて、踏みとどまる理由もなにもないのです。
でもすぐに終わらないことが苦しい日々です。

生きたいと思ったことなど生まれてからずっとなかった人間が更に絶望した場合、どうやって生きることを自分に希望として願えるのでしょうか。

生きていい理由がほしかったし、生きていたいと思える心がほしかった人間は、本当に生きている必要などないのに。

どうやって自分が生きることを許せるのでしょうか。

(かなめ さん)

かなめさん、初めまして。

ご相談いただきまして、ありがとうございます。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人が回答させていただきますね。

 

まず、かなめさんに、お伝えしたいことがあります。

生きていい理由がなくっても、生きていていいと、私は思います。

誰かに許可をもらわなくても、生きていていいと、私は思います。

どんな状況であっても、生きていていいと、私は思います。

もしいま、自分が生きることを許せないのでしたら、その許せないご自分を許してあげてください。

かなめさん。

どうか、生き延びてしまったなんて、言わないでください。

いま、私はかなめさんがお書きくださった言葉と、向き合っています。

かなめさんの絶望に、想いを寄せています。

その絶望の深さは、私には想像することもできません。

それでも、こうして、かなめさんの言葉を、何度も読んでいます。

 

かなめさん。

かなめさんは、目の前が黒く塗りつぶされるような、そんな絶望するようなことがあったのですね。

それのに。

生きることを、あきらめられない。

だからこそ、こうしてご相談文をお送りいただいたのでしょうから。

その絶望の果ての闇の深さと、生きることをあきらめられない不条理。

ある意味で、生きることに絶望するよりも、その不条理は苦しいものかもしれません。

なぜ、生きなくてはならないのか。

いま、この瞬間に呼吸が止まってしまえば、楽なのに。

いま、この瞬間にこの世から消えることができれば、楽なのに。

生きている理由も、見つからないのに。

それなのに、
それなのに、
この瞬間にも、この胸の心臓は、鼓動をやめてくれない。

それは、不条理の極みのようにも見えます。


 

そうだとしても。

私は、かなめさんに伝えます。

何度でも、伝えます。

生きていい理由がなくっても、生きていていいんです。

誰かに許可をもらわなくても、生きていていいんです。

どんな状況であっても、生きていていいんです。

もしいま、自分が生きることを許せなくても、それでも。

生きていていいんです。

かなめさん。

生き延びてしまったなんて、言わないでください。

こうして、ご相談文を送ってくださって、ありがとうございます。

苦しみを言葉にする辛さを越えて、つながろうとしてくださって、ありがとうございます。

その言葉を読んで、こうしていま、私はかなめさんとつながっています。

何度でも言います。

何度でも伝えます。

生きてください。


 

火を、ともしましょう。

その火は、かなめさんの中にあります。

それは、確かなあたたかさを持っています。

>昔は愛情深い人間だったような気がしてます。幻かもしれないけど。

かなめさんは、愛情深い方だった気がするのですね。

けれど、それは幻かもしれないと感じる、と。

もしも、それが幻だとしたら。

もしかしたらほんとうは、かなめさんが考えているよりも、もっともっともーっと、ずっとずっとずーっと、かなめさんご自身は愛情深い方なのかもしれません。

真夏の、強い日差しの下。

大きな木が天に向かって伸びています。

ゆらゆらと揺れる影ができます。

影や幻よりも、大木そのもの方が確かな質量とリアリティを持っています。

かなめさんが幻と感じているのは、そんな影のようなものかもしれません。

とても愛情深い人は、大きな愛を与えられる人です。

そして、その与えた愛は、周りの人をめぐって、その人に還ってくることでしょう。

そうだとしたら。

かなめさんもまた、同じように、愛されてきたのではないでしょうか。

 

>今は愛する人などこの世にひとりもいなくて、踏みとどまる理由もなにもないのです。

いま、かなめさんは愛する人が、ひとりもいないのですね。

もしも、かなめさんのいまが、そうだとしても。

かなめさんを愛する人、愛してくれた人がいたことは、変わらないのではないでしょうか。

そんな、かなめさんを愛する人、愛してくれた人に、少しだけ、想いを寄せてみてください。

「いない」

なんて、言わないでくださいね笑

「いる、としたら」という視点で、ぜひさがしてみてください。

かなめさんのことを、気にかけてくれる人。
かなめさんのことに、想いを寄せてくれる人。
かなめさんのことを、愛してくれる人。
かなめさんのことを、愛する人。

「いま」のかなめさんが、どれだけ苦しくても、どれだけ自分を見失っても、立ち止まったままであっても。

その人は、います。


 

もしも、それでも「いない」としか思えないようでしたら。

いま、この瞬間に「ある」ものに、目を向けてみてはいかがでしょうか。

目に映る、そこに「ある」ものを指差しながら、言葉にするんです。

「テーブル」
「椅子」
「コアラのマーチ」
「スマートフォン」
「コップ」
「リモコン」
「蛍光灯」

意味が分からない、と思われるかもしれません。

けれど、私はこれに、ずいぶんと救われました。

この作業は、絶望と後悔、葛藤と苦悩に引きちぎられそうな意識を、「いま」「この瞬間」に引き戻してくれます。

過去を思い出すのもつらいとき。
未来を考えるだけでも怖いとき。

それでも、いま、この瞬間は大丈夫なんです。

「ある」ものを指差している、この瞬間は、大丈夫なんです。

この瞬間も、息を吸い、そして吐いている。

いま、この瞬間は、大丈夫なんです。

生きていて、大丈夫なんです。


 

かなめさん。

何度でも、私はお伝えします。

生き延びてしまったなんて、言わないでください。

生きていい理由がなくっても、生きていいんです。

誰かに許可をもらわなくても、生きていいです。

どんな状況であっても、生きていていいんです。

もし、いま、自分が生きることを許せなくても。

それでも。

生きていていいんです。

大丈夫です。

何度でも、お伝えします。

大丈夫です。

生きていて、いいんです。

生きていて、いいんです。

何度でも、お伝えします。

大丈夫です。

生きていて、いいんです。

生きていて、いいんです。

生きていて、いいんです。

文筆家・心理カウンセラー
大嵜 直人

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