懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社
懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼2 ~大斎原・湯の峰温泉公衆浴場
熊野権現が降り立った地・神倉神社
湯の峰温泉でゆるんだあと、新宮市に向かって車を走らせる。
国道311号から、168号へ。
熊野川と並走しながら、新宮への道のりを走る。
温泉のおかげか、身体はほかほかと温かい。
窓を開けると、春のような陽気の風が入ってきた。
眠気を警戒したが、それほどでもなかった。
一人旅だと、やはり気も張るのだろう。
いくつかのトンネルを抜けると、新宮市にたどり着く。
住宅街の細い細い路地を抜けて、神倉神社の駐車場へ。
以前は、ナビに「神倉神社」を入力すると、山の頂上近くを案内するため、ぐるぐると迷ったが、何度か来たおかげでずいぶんとスムーズに駐車場に着くことができた。
桟橋を渡ると、不思議と空気が変わる。
熊野権現が、熊野三山として祀られる前に、一番最初に降臨されたのが、この神倉山の地とされる。
熊野速玉神社の摂社でありながら、熊野信仰のルーツとされる神社。
その急峻は、「日本書紀」の神武天皇紀にある天磐盾(あまのいわだて)ともいわれ、神武天皇が登ったことが記されている。
朱色の鳥居をくぐると、見上げるような石段。
その数、五百数十。
かの源頼朝が源平合戦における熊野の功績により寄進したとされ、「鎌倉積み」という手法で積まれていると聞く。
最初が一番急になっており、途中からはずいぶんとなだらかになる。
何度か登った経験が、それを教えてくれるが、それでも急な石段は怖い。
一歩、また一歩と足元を確かめながら、石段を登っていく。
小さな子どもが、元気に前を登っていた。
日ごろの運動不足の私の足腰と肺は、すぐに悲鳴を上げる。
ぜえぜえと肩で息をしながら、足元を確かめる。
いったい、どれくらいの参拝者が、この石段を登って行ったのだろう。
激しく息の切れる中で、そんなことを考える。
ようやく踊り場のような場所にたどり着き、ほっと一息つく。
登ってきた石段を見て、あらためて急だなと思う。
昼過ぎの陽光に照らされた石段は、どこか神秘的だった。
何人もの人が、すれ違いにこの石段を降りて行った。
どの顔も、その人らしい、清々しいお顔をされていた。
もう少し、あと少し。
苔に足を取られないように気をつけながら、少しずつ少しずつ前へ。
途中で、足元の石からカエルの鳴き声が聞こえた。
姿を探したが、地中に埋まっているのか見当たらず。
そういえば、もう「雨水」も半ばを過ぎたころ。
もうすぐ、「啓蟄」。
土の中で眠っていた生きものたちが、外へ出てくる時候。
一足早く、この神倉神社のカエルたちは目覚めたのだろうか。
ゴトビキ岩、そして熊野灘の絶景
ようやく頂上にたどり着くと、熊野灘を望む絶景が広がる。
神話の世界から続く、この神倉山からの絶景。
水平線のあたりがぼんやりとしているのが、どこか春を思わせた。
ほっと一息つきながら、その絶景に見とれる。
そして、見上げれば、そこにゴトビキ岩。
「ゴトビキ」とは、この地方の方言で「ヒキガエル」を指すと聞く。
登り道で聞いたカエルの鳴き声は、アマガエルのような声だったが、ヒキガエルもいるのだろうか。
雄大でいて、それでいて幽玄さもあり。
神話の御代から、熊野灘をずっと眺めてこられた、ゴトビキ岩。
悠久の時の流れに、想いを馳せる。
神話の昔から人は、人ならざるものに、畏敬の念を抱いてきた。
祈り、というものは、そうした存在を前にしたときの、人の自然な反応なのかもしれない。
どこまでも広がる青い空と海。
輝く太陽、静かにささやく月。
絶え間なく流れる川と、深き静寂の杜。
あるいは、威風堂々とした巨岩。
熊野には、そのどれもがあるような気がする。
ゴトビキ岩と接する、もう一つの巨岩との間にある、暗がり。
男性的なものと、女性的なものと。
そのいずれもが、ここにはある。
その暗がりにも、祈りを捧げる。
熊野には、すべてがあるような気がするのだ。