大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼4 ~熊野速玉神社と梛の木

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼2 ~大斎原・湯の峰温泉公衆浴場

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼3 ~神倉神社から熊野灘を望む

新宮・熊野速玉神社

神倉神社を後にして、また車を新宮市内に走らせる。

42号線は、やはり混んでいた。

以前に5月の連休の終わりに訪れたときに、渋滞していたのを思い出す。

神倉神社から、車で5分ほど。

熊野速玉神社を訪れる。

熊野三山のひとつ、熊野速玉神社。

もとは、先に訪れた神倉神社に熊野権現が祀られていたのが、この場所に遷されたとのこと。

この地に遷られたのは、景行天皇の時代とされる。

そのため、神倉神社に対して、この熊野速玉神社を「新宮」と呼ぶようになったとのこと。

朱色の鳥居が印象的な、とても静かな境内を歩いて、本殿に参拝する。

神門をくぐると左手に拝殿があり、「結宮(むすびのみや)」と「速玉宮(はやたまぐう)」の二つの宮がある。

「結宮」は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を、「速玉宮」は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)を祀っているという。

この2神は、夫婦神であるという。

その右手側には、上三殿と八社殿がそれぞれの神さまを祀っていた。

2月の終わり、雨水のころ。

境内には、とても静かな空気が流れていた。

はるか平安の昔から、救いを求めて、多くの人が命を懸けて参拝の旅に出た、熊野。

「よみがえりの地」とされるその空気は、千年を超えて、私の心を癒してくれる。

梛のご神木

神門を出ると、境内にそびえるは「梛(なぎ)のご神木」。

樹齢千年を超え、熊野権現の象徴とされてきた、梛の木。

山、川、岩、そして樹木。

熊野信仰の、一つの象徴でもある。

梛の葉は魔除けの効果があるとされ、その昔は、笠にその梛の葉をかざすことで、旅の道中の安全を祈ったと聞く。

ようやくたどり着いたこの地で、帰りの道中の無事を、この梛のご神木に祈ったのだろうか。

私も、長い帰りの道中の無事を祈り、手を合わせる。

スマホの撮影では映らなかったが、見上げると、白い月が出ていた。

なぜ、この地で自然信仰が起こったのか。

なぜ、人々は「蟻の熊野詣」とよばれるほど、列をなしてこの熊野の地を訪れたのだろう。

ほかの地ではなくて、この熊野の地でなくてはならなかったのは、なぜだろう。

考えても仕方のないことを、ぼんやりと考えていた。

もちろん、そこに熊野権現がいらっしゃったからであり、それは熊野が熊野であるから、としか言いようがないのではあるけれども。

それはどこか、自分が自分であることを認めることと、どこか似ている気がする。

御神木の、梛の木。

この地を去るのが惜しくて、また手を合わせて祈りをささげてみた。