「正しさ」は自分の弱さを守るための鎧であり、盾です。
その弱さを癒していくと、「正しさ」が要らなくなっていきます。
1.「正しさ」を手放すためには
昨日の記事では、「正しさ」を手放すためには、というテーマでお伝えしました。
「正しさ」を手放すには、なぜ自分がそれにこだわっているのかを考えてみること。 - 大嵜直人のブログ
「許し」というテーマの流れからのお話でした。
私たちは被害者のポジションにいると、どうしても「正しさ」を主張したり、こだわったりします。
「あなたが悪いことをしたのだから、償うのは当たり前だ」といったように。
ただ、この被害者のポジションというのは、相当に厄介です。
そこにいると、居心地はいいんです。
被害者でいると、周りは同情してくれますし、表現はちょっとアレですが「悲劇のヒーロー・ヒロイン」でいられるからです。
その上、相手に謝罪や償いを求めるわけですから、自分から何もしなくてもいいからです。
しかしそれは、自分から状況を変えられなくなることの裏返しでもあります。
さて、こうした被害者のポジションを抜けだすためには、相手を許すこと、そして「正しさ」を手放すことが必要になります。
そのためには、なぜそんなにも自分が「正しさ」にこだわってしまうのか、それを理解しに行くことが大切になる、というのが昨日のテーマでした。
2.「正しさ」が必要になるのは「弱さ」ゆえ
こうした「正しさ」は、ある意味で鎧であり、盾です。
自分を守ったり、防御したりするために必要なもの、という意味ですね。
鎧を着るということは、誰かから攻撃されると思っているからであり、その攻撃にさらされたときに自分を守るためでもあります。
戦に出るから鎧を着るし、前線に出るから盾が要るんです。
これが、お花見に行くんだったら、盾も鎧も要らないですよね。
そうではなくて、誰かに責められるかもしれないと思っている。
だから、「正しさ」が必要になる。
「正しさ」を持っていれば、誰かから責められても大丈夫なんだ、と。
これ、言いかえると、「正しさ」が必要になるのは、自分の「弱さ」ゆえである、と見ることができます。
被害者のポジションもそうですが、「自立」のポジションにいる人も、「正しさ」にこだわりがちです。
「自立」の人も同じように、自分の弱さを隠しているからです。
「依存」時代に負った傷や、その痛みを隠したまま、「もう一人でやる!」と虚勢を張るのが「自立」です。
「自立」の裏側には、「弱さ」が隠れています。
だから、「正しさ」が必要になるんですよね。
3.「弱さ」を癒すもの
「正しさ」が必要になるのは、自分の「弱さ」ゆえ。
そう考えていくと、「正しさ」を手放していくのは、その自分の「弱さ」と向き合うことが有効になります。
自分の「弱さ」。
それは、別に克服しようとしなくてもいいんですよね。
何も、「正しさ」を必要としないくらい、強くならないといけない、というわけではありません。
むしろ、その逆です。
その自分の「弱さ」を受け入れ、認め、そしてできることならば、それを大切な人に差しだすこと。
それが、「弱さ」を癒す秘訣です。
決して、その「弱さ」をいけないものだとしないことです。
それを消そうとしないことです。
ただ、あるものとして受け入れること。
そうすると、その「弱さ」は大切な人にとってのギフトになるのです。
今日は、「正しさ」が必要なのは、自分の弱さゆえに、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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