「自立」の問題は、孤立感や孤独感として語られることが多いものです。
しかし、もう一つの見方として、相手の愛を拒絶してしまうことへの罪悪感もまた大きいものです。
そんな切ない「自立」の問題と、その考え方についてお伝えします。
1.「自立」の根源的な問題
「自立」とは、なんでも自分ひとりでやろうとする状態のことを指します。
それは、「依存」の次にやってくるステージであり、「依存」時代に自分の願いが叶わなかったり、または自分の愛が届けられなかったりした経験の反動といえます。
とても傷ついた経験があったがゆえに、「もう二度とそんな経験はしたくない!」という方向に動いてしまうわけです。
言い換えるとそれは、「いかに傷つかないか」を考えた末に、自分ひとりで生きていこうとしている状態といえます。
そのため、自分でできることは増えていく反面、周りとのつながりを感じることが難しくなります。
また、周りとのかかわりを避けるようになるのも、「自立」の傾向です。
傷ついた経験の痛みが大きければ大きいほど、強固な壁を築いて、自分を守ろうとします。
この壁が、「ルール」や「正しさ」と呼ばれたりしますよね。
まるで籠城をしているような状態なので、孤独感や孤立感を覚えやすくなります。
周りとのつながりがつくれない。
いつも孤立して、周りと対立してしまう。
これが、「自立」の問題として語られることが多いのですが、今日はもう少し話を深めていきます。
それは、周りからの好意や愛を拒絶することによる「罪悪感」という視点です。
2.「自立」と「罪悪感」の深い関係
受けとることが難しい「自立」
人の持つ感情のなかで、「罪悪感」というのは、問題の総合商社、デパートのような存在です。
ここでも、何度も「罪悪感」について書いてきました。
この「自立」の状態にあると、そうした「罪悪感」を抱え込みやすくなります。
なぜか。
「自立」というのは、「与えるけれど、受けとれない」状態といわれます。
自立的であるがゆえに、周りの人に与えようとするのですが、自分に向けられた愛を受けとることが難しいのが、「自立」している人の傾向です。
なぜ「自立」しているかといえば、冒頭に書いたように「もう二度と傷つきたくない」という強烈な怖れが根源にあるわけです。
しかし、「受けとる」ためには、相手を味方と認定して、城門を開け放つ必要があります。
戦国時代の籠城戦なんかでも、そうですよね。
味方からの援軍や救援物資を受けとるためには、城門を開けて、それらを招き入れないといけない。
けれども、過去に傷ついた経験があると、それが難しくなります。
「援軍だって言っているけれど、敵のスパイかもしれない」
「救援物資と聞いたけど、敵の罠かもしれない」
「だって、前にも同じようなことがあったじゃないか」
そんな風に考えてしまうと、なかなか城門を開けることができなくなります。
人の心も、同じようなものかもしれません。
受け取らないことへの「罪悪感」
「自立」していると、受けとれない。
もし、先に書いたような籠城戦であれば、できるだけ誰も城に近づかないようにしたり、場合によっては場内から矢を放って威嚇したりするかもしれません。
そうすることで、そのお城に近づく者は減るでしょうし、攻められる確率も少なくなるかもしれません。
しかし、それと同時に、援軍や救援物資を受けとることもできなくなります。
せっかく、遠路はるばる物資を届けに来た人たち。
なんとか、力になりたいと思って、手助けに来てくれた人たち。
そんな人たちの援助を、「近づくな!」と言って、追い払ってしまうわけです。
それを見て、「あぁ、せっかく我が城のために来てくれたのに…」という想いを抱いてしまうわけです。
この受けとらないことへの「罪悪感」が、今日のタイトルにもなっているテーマです。
その「罪悪感」があると、自分を責めてしまうものですし、自分が誰かの役に立っていると感じづらくなります。
これが、今日のテーマである「自立」の人が、根源的に抱える「罪悪感」です。
3.弱いからこそ、守る必要があった
私自身も、この「受けとれない」問題は、ずっと抱えてきました。
私のなかの慢性的な問題の一つといえます。
だから、自己弁護させてください笑
「自立」している人は「受けとれない」ことが問題だ、といわれますが、そうじゃないんです。
文字通り「受けとれない」んです。
好き好んで、そうしているわけでもない。
ただ、そうせざるをえなかったんです。
そこに、いいも悪いもないんだと思います。
「受けとれるから、よい」「罪悪感があるから、悪い」という見方ではなく、「ただ、そうせざるをえなかった」という見方は、とても重要だと思うのです。
そうすると、「なぜ、そうせざるを得なかったのだろう」という方向に、想いを寄せることができるようになります。
この視点こそが、「自立」を癒すカギになります。
先ほどのお城の例でいえば、強固に守りを固めようとするお城は、どんなお城なのでしょう。
そう、脆く、弱いお城なのではないでしょうか。
「自立」している人ほど、その強固な壁の裏側には、深い傷や痛みを抱えているものです。
目の前に見える悪い態度ではなく、その傷や痛みに想いを寄せることができたとき。
ほんとうの意味での「与える」ことができるのでしょうし、それは自分自身を癒すことにもつながります。
周りの人の傷に想いを寄せることは、自分自身のそれと向き合うのと同じことなのですから。
「自立」するのが悪いわけでも、なんでもありません。
「よく、そこまで一人でがんばってきましたよね」
そんな言葉が、必要なのではないかと私は思うのです。
今日は、「自立」における、拒絶することによる罪悪感について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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