「シャドウ」は、隠してきた自分自身の要素を見せてくれる存在です。
それは、自分の可能性を指し示してくれるともいえるのです。
1.真実の強さと「許し」
昨日の記事では、真実の強さとは、許しのなかにある、というテーマでお伝えしました。
私たちは、自分の嫌っている部分や、受け入れられない要素を、自分のなかに隠しておこうとします。
わがままな自分。
すぐに誰かを頼ってしまう弱い自分。
感情的で涙もろい自分。
そうした部分を自分が嫌っていると、他人に見られたくないように隠そうとします。
そして、周りにこうした振る舞いをする人が現れると、激しく嫌悪感を覚えるようになります。
「自分が我慢してるのに、なんであの人は我慢しないの!」と、なるわけですね。
ダイエット中に、目の前でケーキをパクパク食べられる感じでしょうか笑
この自分の隠している面を見せてくれる人を、「シャドウ」と呼んだりします。
「シャドウ」は、ずっと隠してきた自分自身の一面を見せてくれる存在でもあります。
この「隠す」というのは、ある意味で「強がり」なんですよね。
自分の弱い部分を隠して、強く見せようとしているわけです。
けれども、この「強がり」は、真の強さではありません。
こうした弱い自分、わがままな自分、依存的な自分、感情的な自分といった部分を、外に出せることが、真の強さである、というのが昨日のテーマでした。
ただ、なんでもかんでも外に見せればいい、というわけではなく、「そうした要素を、自分自身が許していくと、見せることが気にならなくなっていく」という方が正しいのでしょう。
自分を許すことが、真の強さへのプロセスを開いてくれるのです。
2.「シャドウ」は自分の可能性を指し示すもの
さて、こうした自分の嫌っている要素を見せてくれる「シャドウ」ですが、それは自分自身の「可能性」を見せてくれている、というテーマを今日はお伝えしたいと思います。
自分の大っ嫌いな人が、自分自身の可能性を見せてくれるなんて、ヘンな話ですよね笑
でも、そうなんです。
いまの自分が「シャドウ」だと感じるのは、それだけその要素を自分自身が抑圧し、禁じ、封印してきたからです。
言ってみれば、自分自身の一部を隠して、それまで生きていたんですよね。
物理的に隠すとなると、イメージが難しいので、これを才能や資質と置き換えると、少し分かりやすいかもしれません。
「めっちゃ運動神経がいいのに、ひたすらそれを使わないように生きてきた」
「すごくいい歌声で歌えるのに、人前では絶対に歌わないようにしてきた」
…なんか、漫画とかの主人公の設定みたいに聞こえるかもしれませんが笑、そうなんですよね。
自分の一部を隠して生きるって、そういうことなんです。
「シャドウ」は、それを見せてくれている。
けれども、なぜか自分はそれを嫌い、抑圧し、そして隠して生きていた。
もし、その要素が自分自身の一部として取り戻せたとしたら。
それは、自分の可能性をものすごく広げてくれるものです。
3.その要素を持っている子どもをイメージしてみる
そうはいっても、自分の大嫌いな人が、自分と同じ要素を持っているだなんて、なかなか認めることは難しいものです。
そんなときは、自分が嫌っている要素を、その人から抜き出してみてはいかがでしょうか。
すぐに周りに頼る、依存的なところ。
いつもめそめそして、弱々しいところ。
かわいい子ぶって、周りからチヤホヤされるところ。
そうした要素を、その「シャドウ」その人から、切り離してみるんです。
「あぁ、自分は依存的なところが嫌いなんだなぁ」とか、「自分はぶりっ子というか、周りに媚びるのが嫌いなんだな」とか。
いろいろ、見えてくるものがあると思います。
そのルーツをたどってみてもいいのですが、今日は少し違うアプローチをご紹介します。
そうした抜き出した要素を持っている、3、4歳くらいの子どもをイメージしてみます。
「ねぇねぇ~」って、すぐに頼ってくる3歳児。
すごく泣き虫の3歳児。
「かわいいねぇ」と言われて、得意顔な3歳児。
そうした子どもをイメージして、どんな感じがするでしょうか。
大人の「シャドウ」よりは、なんとなく受け入れやすくないでしょうか。
おそらく、自分自身の小さいころもまた、こうした子どもだったのでしょう。
それをヨシヨシしてあげることは、自分自身を受け入れ、許していくというプロセスのなかで、とても大きな意味を持つのです。

今日は、「シャドウ」とは、自分の可能性を指し示してくれるもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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