大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

雨水過ぎて、ほんの少しずつ。そのほんの少しが、美しい。

立春過ぎて、もう時候は「雨水」に入りました。

降る雪が雨に変わり、氷や雪が溶けだすころとされる時候です。

七十二侯では、「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」。

徐々に雪が雨に変わり、大地に潤いを与えるとされる、美しい時候ですね。

…なのですが、また寒波が来ているようで、非常に寒い日が続いていますね。

いや、2月も下旬なのですが、北陸や北国ではかなりの積雪があるようで、まだまだ春は遠いような、そんな感じもしています。

「雨水」というと、農耕を始める時期とされますが、なんだかそれよりもまだ冬、といった感じがありますよね。

朝の寒さは私の住んでいる名古屋でもマイナスの気温と、まだまだ厳しい寒さです。

ただ、それでも、2月の上旬のような、「芯のある寒さ」ではなくなってきている気がします。

こう、なんというか、凛とした、緊張感のある寒さと言いますか…

そういった感じは、薄くなってきている気がするのです。

「あ、なんかいけそう」という感じがするのです笑

それほど気温は変わっていない気がするのですが、不思議ですよね。

 

ただ、このわずかな変化というのが、とてもうれしく感じるのもまた、この時期ならではのように思います。

食べものでも「走り」のものが珍重されるように、ものごとのほんのわずかな変化を楽しむ、という美意識が、私たちにはあるようです。

桜にしても、蕾が膨らんでくるあたりが、一番私たちの心をそぞろにするものです。

同じかもしれない、でも、ちょっとだけ、なんか、違うかもしれない。

いや、やっぱり、たしかに違う。

同じ寒さだけれども、どこかそのなかに、ゆらっと、春の気配を感じるような。

そんな、変化。

たとえ大きくなくても、そのほんのわずかな変化こそが、変わることの本質なのかもしれません。

 

私たち自身もまた、同じかもしれません。

同じように見えて、変わっていないように見えて。

ほんの少しでも、昨日から、変わっているとしたら、成長しているとしたら。

それは、この春を待つときの変化くらい、喜んであげてもいいのかもしれません。

ほんの少し、蕾がふくらんだ気がする。

ほんのわずかに、風がやわらかさを含んできた気がする。

ほんの少しだけ、陽の光が強さを含んだように思う。

その変化を喜ぶように。

自分の小さな変化を、喜んであげることも、大切なことなのでしょう。

 

とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。

まだまだ暖かくして、どうぞご自愛くださいませ。